スポーツ茶論

沖縄とプロ野球と50年 清水満

ノーヒットノーランを達成したソフトバンク・東浜巨 花束を受け取り、ソフトバンク・甲斐拓也と抱き合う=11日、ペイペイドーム(撮影・村本聡)
ノーヒットノーランを達成したソフトバンク・東浜巨 花束を受け取り、ソフトバンク・甲斐拓也と抱き合う=11日、ペイペイドーム(撮影・村本聡)

NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」が好評だ。舞台は沖縄。復帰前の1960年代から始まり、ヒロインの比嘉暢子を中心に、貧しくも強い絆で結ばれた一家の家族愛を描いた物語である。

先週12日の放送で〝一発逆転劇〟シーンが描かれた。詐欺にあい、借金を抱えたヒロインの兄・賢秀は上京してプロボクサーになってKOデビュー。ファイトマネー60万円を獲得して家族の窮地を救う。その後の展開はさておき、仕事もせず、けんかやボクシングに明け暮れていた兄が一躍〝ヒーロー〟に…。視聴者には突然で、まさかの展開だっただろうが、決してそうではない。米国の統治から日本に返還された半世紀前、沖縄のボクシング界は活況を呈していたのである。

その辺の事情は本紙で別府育郎論説副委員長が連載する「拳闘の島 沖縄復帰50年」に詳しく書かれている。米軍統治下の沖縄ではスポーツだけではなく、音楽やハンバーガーといった食なども本土より早く米国文化が流れ込んだ環境だった。

連載で、米軍基地内の体育館で米兵相手の親善試合を戦った仲井真重次さん(現琉球ジム会長)の言葉があった。

「いい試合には日米の選手関係なく拍手してくれる。その明るい雰囲気がアマチュアの試合とは全く違ってさ。観客が盛り上がる中で味わう勝つ楽しさと、負ける悔しさを知った。僕らはプロの雰囲気を、ひと足先に味わったのだと思う」。〝ハングリーさ〟の原体験、そこに沖縄スポーツの魂がある気がした。

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プロ野球界にもそんなハングリー魂を持つ者がいた。84年、ドラフト3位で阪神に入団し、左の本格派として活躍した仲田幸司さんである。米軍将校の父と日本人の母との間に米国で生まれ、父の転属で沖縄に移る。本土に復帰する72年、基地内の学校から那覇市内の小学校に転校、ハーフのためいじめにあい、そして不登校…。そんな折、野球に夢中になった。

「グラウンドの中は平等だった。真剣勝負を通して、勝負の厳しさ、楽しさも知ったし、友達もできた。俺も〝沖縄人〟になれたって。野球が僕の気持ちを救ってくれたんです」

興南高に進み、3季連続甲子園出場。阪神、ロッテで通算57勝を挙げた。64年に広島に入団した元祖「沖縄の星」安仁屋宗八さんの通算119勝には及ばなかったが、沖縄魂で勝負の世界に挑んだ。

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沖縄出身選手としては初の偉業があった。ソフトバンク・東浜巨(なお)投手が11日の西武戦(ペイペイドーム)で、プロ野球史上84人目、通算95度目の無安打無得点試合を達成した。島人(しまんちゅ)も歓喜したに違いない。

そしていまプロ野球界は〝沖縄勢〟が席巻している。ソフトバンクには東浜の他に、中日からFA移籍した又吉克樹、5年連続50試合登板の嘉弥真新也、打者では長打が魅力のリチャード、育成で勝連大稀(はるき)、大城真乃。オリックスは左腕の宮城大弥、西武は14本塁打でキング独走の山川穂高、救援の平良海馬、巨人・大城卓三捕手、DeNAは嶺井博希捕手…といった状況だ。

そういえば…。4日のオリックス戦で同郷の宮城と投げ合い、勝ち投手になった東浜が言っていた。

「(自分たちが結果を残せば)沖縄のレベルが上がっている証明になる」

郷土愛が強い。沖縄方言で〝ちむどんどん〟は「胸がわくわくする」という意味だという。島人にとって、良き〝復帰50年〟になった。

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