小林繁伝

大杉のトレード断念し、獲得した助っ人は… 虎番疾風録其の四(46)

吉田阪神の助っ人コンビ、アルトマン(右)とテーラー=昭和50年
吉田阪神の助っ人コンビ、アルトマン(右)とテーラー=昭和50年

大杉、ヤクルト入り―のニュースは大きな波紋を呼んだ。「阪神はなんで、断るんや!」と虎ファンの怒りが爆発したのである。連日、球団や吉田監督の自宅には抗議の電話や手紙が殺到した。

日本ハムからトレードを申し込まれたのは昭和49年10月中旬。吉田の監督就任が決まったばかりだった。球団編成部が戦力検討を行い、球団主導で交渉が進められた。当然の動きである。

阪神の編成部が日本ハムの交換要員に「合意」したのは3つの理由があった。

①大杉が入れば来季から一塁の遠井を代打要員に回し、戦力層が厚くなる

②池田は故障がちで肩も衰えてきた

③後藤の放出は三塁に若い佐野や掛布が成長し問題なし

球団はまさか「反対」されるとは思っていなかった。ではなぜ、吉田監督は拒否したのか。平本先輩によれば、その球団主導―が気に入らなかったという。

「ヨっさんは自信家やから人の言うた通りにするのがしゃくに障る性格なんや。それに、一塁には外国人選手を当てる―ともう決めとったしな」

当初は南海から金銭トレードでパーカー獲得が決まっていた。が、事情あって断念、アルトマンに切り替えた。

身長197センチ、体重90キロ、右投げ左打ち。1933年3月20日生まれの当時、41歳。ロッテをクビになったばかり。球団首脳は「なんでそんな〝老トル〟を」と驚いた。アルトマンは野球への姿勢も真面目で紳士である。だが、40歳を超える年齢。そして大腸がんの手術を受け体力も落ちていた。

実は吉田監督には苦い思い出があった。現役時代〝牛若丸〟と異名をとった名遊撃手だったが、出始めの頃は一塁への送球がワンバウンドになったり、左右に少しでもそれると、当時の一塁手・藤村富美男はソッポを向いて捕ってくれなかったという。

「もっとちゃんと捕ってください」というと「何を生意気な。お前がちゃんと投げへんからやろ」と怒鳴り返されたことも。背の高い、動きのいい選手が一塁を守っていたら、もっと内野安打も減ったのに…。これが吉田の思いだった。だから大きく脚を広げて送球を受けてくれるアルトマンが欲しかった。ホンマかいな―のお話である。(敬称略)

■小林繁伝47

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