運命の少女が目の前に現れたのは、沖縄の本土復帰から15年、昭和62年秋のことだった。「小柄で線は細いけれど、顔が小さく、素晴らしい体のバランスをしていた」。沖縄初の芸能学校「沖縄アクターズスクール」を主宰するマキノ正幸(まさゆき)(81)は、米軍普天間飛行場に近い自宅兼練習スタジオで、35年前の出会いをこう振り返る。沖縄を変えた「風」の始まりだった。
運命の出会い
マキノは「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三を祖父に、俳優の長門裕之、津川雅彦をいとこに持つ芸能一家の出身。復帰の47年に東京から移住し、58年にアクターズスクールを開校して5年目だった。