東京都杉並区の加藤典男さんから、新聞に掲載された2枚の写真を貼ったはがきが送られてきた。1枚は真剣なまなざしで銃器の扱い方を教わるウクライナの若い女性、もう1枚は橋の上で夜桜を愛(め)でる日本の人々。加藤さんはそこにこう書き添える。
「銃をもつ女を尻目に花見かな」
この気分、よく分かる。わが家の庭でもバラが次々と花をつけ始めたが、例年に比べるとずいぶん色あせて感じられる。ロシアのウクライナ侵攻と無差別虐殺という現実が、日々の暮らしのなかで素直に笑ったり楽しんだりすることにブレーキをかけているのだ。
加えて核で恫喝(どうかつ)する3つの専制主義国、「反日」を国民統合の道具として利用する国を隣国に持ちながら、憲法9条を守ることがさも良心的であるかのような空気がいまだに漂うことへのいらだち。これに民族的記憶が重なる。昭和20年8月9日、日ソ中立条約を破ってソ連は日本の領土や満州になだれ込み、15日以降もあらんかぎりの乱暴狼藉(ろうぜき)を働いたこと。武装解除した兵士や民間人およそ57万5千人をシベリアなどに輸送して、長期にわたり奴隷的強制労働をさせたこと。なだれ込んだ日本の領土に居座り、いまなお不法に占拠を続けていること…。数え上げればきりがない。
史実に基づいた映画「樺太1945年夏 氷雪の門」(村山三男監督)を思い出す。南樺太西海岸にある真岡郵便電信局の女性交換手たちの姿を描いた作品だ。8月20日、ソ連軍が真岡町への上陸を開始するものの、9人の交換手が志願して職場にとどまり、職務を遂行する。緊迫した人々の電話での会話を聞き、各地でソ連軍が略奪、婦女暴行、殺戮(さつりく)を重ねている状況を知る。じりじりと迫ってくるソ連軍。彼女たちは凌辱(りょうじょく)される前に青酸カリによる自決を選ぶ。通信の最後の言葉は、「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」だった。
ソ連の継承国であるロシアは、ウクライナでも同じことを繰り返しているのではないか。冒頭で紹介した名前も知らぬウクライナの若い女性よ、扱い方を教わった銃器は役に立っていますか? 何もできない私は歯嚙(はが)みするだけだ。
宮沢賢治の「豊かな生」
そんな自分の内奥を観察すると、もっと根深い感情のあることに気づく。それは人間という存在への諦観だ。「こんなことを繰り返すのなら、いっそのこと人類は核戦争で絶滅したほうがよいのではないか」という考えがふとよぎるのだ。きわめて危険な傾向だと自覚はしているのだが…。
こんな状態で、宮沢賢治が大正15年にしたためた小論『農民芸術概論綱要』を読んだ。市場経済に巻き込まれ、生存するためだけに日々厳しい労働に追われる農民の姿を目の当たりにした賢治が、農民が「豊かな生」を生きる方途について思索したものだ。《世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない》という有名な一節が序論にある。
この一節に続けて賢治は《自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する》と記す。つまり、先に掲げた言葉を信じて生き、発信してゆけば、やがてその思いは共有され、宇宙にまで広がってゆくというのだ。
「子供じみた夢想」と笑いたければ笑え。徒手空拳の私には、これ以外にこの星の上から惨劇を減らす方途を見つけることができないのだ。
結論で賢治はこう畳みかける。《われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨(おお)きな力と熱である》
そんなものを持ち合わせていない私は、時折賢治の言葉を思い出し、自分の持ち場で、この言葉に沿った小さな行動を起こせればそれで十分ではないか、と考える。凡庸な人間の小さな行動も、積もれば高き山となり、きっと宇宙に届くはず、そう信じたい。
ここまで書きながら、陰鬱な気分が少しだけ軽くなるのを感じている。賢治に感謝し、もっと人間を信じなければ、と思う。
象徴的だった安全保障会議
話題を変えよう。モンテーニュは第3巻第3章「三つの交わりについて」にこう記している。少し長いがそのまま引用する。
《人生は不同な、不規則な、そして多様な運動である。絶えず自分に従い、自分の傾向に囚(とら)われて、そこからそれることもそれを曲げることもできないというのは、自分の友たることではなく、ましてや自分の主人たることでもなく、自分の奴隷たることである。わたしが今それを言うのは、わたし自身が自分の魂の厄介さから容易に抜け出せずにいるからである》(大久保康明訳)
自身が向き合う人間や世界をじっくりと観察するだけでなく、同時に観察する自身にも容赦なく目を向けてきたモンテーニュにしてはじめて書くことのできる一節だと思う。その彼にしても、自身の傾向から抜け出せず、人間や世界を柔軟にとらえることが困難だと告白しているのだ。柔軟性の喪失は、他者や世界への不信感を生む。まるでこの文章を書き始めたときの私ではないか。
だからこそ自身のことすらよく分からない自分が、人間の、世界のいったい何を知っているのか、という謙虚な問いかけを絶えずすることが求められるのだと思う。まさに「クセジュ=私は何を知っているのか」である。
モンテーニュのいう「自分の奴隷」の典型が最近のプーチン大統領だ。象徴的だったのが、テレビ中継された2月21日の安全保障会議だ。ここでプーチン大統領は、ウクライナ東部の親露派2州の独立を承認すべきかどうか1人ずつ意見を述べさせた。
発言者全員が独立承認を支持するなかで、ナルイシキン対外情報局長官が、おどおどした様子で「最後に西側のパートナーたちにチャンスを与え、ウクライナが平和を目指すよう強制してもらっても…」と発言すると、「また西側と話し合いをしろと言うのか。はっきりしろ」といらだち、恫喝するようにナルイシキン長官を追い込んでいった。
この会議をテレビ中継することで、他者に有無を言わせぬ絶対的な権力が自分にあることを国民に見せつけようとしたのかしらん。私には、自分の奴隷になったがために、引くに引けなくなった独裁者の末期的な姿にしか映らなかった。
いま何よりも怖いのは、ウクライナ侵攻の失敗が決定的になったときに、「世界を道連れにしてしまえ」と核のボタンを押すことだ。人間いつかは死ぬが、こんな男の道連れにされるのはごめんだ。