教科書が教えない拉致問題

(10)連れ去られた幼い在日姉弟 沈黙し続ける朝鮮総連 貿易会社内に工作拠点 編集長・中村将

拉致被害者家族を支援する在日コリアンの集会で、在日本朝鮮人総連合会の大阪府内の地区分会長の謝罪を聞く(左から)横田滋さん、早紀江さん、有本明弘さん、嘉代子さん=2003年2月15日、大阪市中央区(一部画像を加工しています)
拉致被害者家族を支援する在日コリアンの集会で、在日本朝鮮人総連合会の大阪府内の地区分会長の謝罪を聞く(左から)横田滋さん、早紀江さん、有本明弘さん、嘉代子さん=2003年2月15日、大阪市中央区(一部画像を加工しています)

北朝鮮が日本人拉致を認め、謝罪した2002(平成14)年9月の日朝首脳会談から約5カ月後の03年2月15日、大阪市中央区の市立中央会館に在日コリアン(在日朝鮮・韓国人)が参集した。在日の人々が拉致被害者家族を支援する初めての集会を開いたのだ。こうした集会は数回開かれたと記憶しているが、あまり知られていない。

壇上には、横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=の両親、滋さん(故人)、早紀江さん(86)夫妻と、有本恵子さん(62)=同(23)=の両親、明弘さん(93)、嘉代子さん(故人)夫妻が座っていた。立ち見の参加者もおり、その数は主催者発表で約250人に上った。

「日本中で拉致問題に関する多くの集会が開かれていますが、在日コリアンの方々が集会を開くのは勇気がいることで、感謝しています」。滋さんがあいさつすると、早紀江さんも「民族、人種を超えて、一人の命としてのありがたみを確かめ合いながら頑張っていきたい」と話した。会場が大きな拍手で包まれたことを思いだす。

在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の大阪府内の地区分会長の男性=当時(37)=も登壇した。

「私は『拉致はない』と信じ、そう言ってきた。犯した過ちを認め、誠実に向き合う姿勢が大切だ。私が言っても仕方ないかもしれないが…。謝りたい…」

「個人の率直な思い」と断った上での発言だが、現職の活動家がこうした行動を起こすまでには多くの葛藤があったはずだ。北朝鮮や朝鮮総連の言う通り、「拉致はでっちあげ」と信じてきたのに、金正日(キム・ジョンイル)総書記はあっさり拉致を認めた。朝鮮半島にルーツを持つ民族が「被害者」ではなく、「加害者」となったことへの動揺が見て取れた。男性は「謝りたい」と言ったが、横田夫妻らを正視することさえできなかったことがそれを示していた。

集会には長野県の朝鮮学校に子供を通わせる親の有志からメッセージも寄せられた。「朝鮮総連が(拉致問題について)沈黙を守り続けていることが残念でなりません」

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普段は気難しそうに見えたその男は、自衛官らと酒を飲んでいるときは、にこやかで冗舌だった。

1927(昭和2)年9月に愛媛県で生まれた在日朝鮮人だが、北海道の自衛隊施設に出入りしていた。飲食店や旅館で頻繁に自衛官らと接触し、帰り際に封筒を差し出す場面も何度か目撃されていた。「高大基(コ・デギ)」と名乗るその男は防衛情報や在日米軍情報を収集する北朝鮮工作員だった。

北海道紋別(もんべつ)市のスナックで働いていた渡辺秀子さん=失踪当時(32)=と知り合い、結婚。長女、高敬美(コ・キョンミ)ちゃん、長男、剛(ガン)ちゃんにめぐまれた。姉弟は朝鮮籍に入れた。

高工作員の拠点はその後、東京に移る。71(昭和46)年6月、東京都品川区西五反田に設立された、金属製品や医療機器などを扱う貿易会社「ユニバース・トレイディング」(昭和59年解散)。

公安当局によれば、同社は朝鮮総連の金炳植(キム・ビョンシク)副議長(当時)が事実上の設立者で、従業員三十数人のうち営業1部の約10人は〝裏の仕事〟専門だった。

在日特別行動隊「ドミトルグループ」と呼ばれる工作員組織を仕切っていたのが高工作員だった。メンバーの中には工作船で北朝鮮に行き、スパイ教育を受けた者もいた。

70(昭和45)年3月、日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った元共産主義者同盟赤軍派メンバーの柴田泰弘元受刑者(故人)が日本に潜入した際、同社社員らがかくまったり、社員の親族の戸籍を不正に使わせたりした。よど号犯の妻の実兄も社員だった。

北朝鮮絡みの多くのスパイ事件には同社の影が見え隠れする。

「共和国(北朝鮮)から召喚状が来た」。高工作員が朝鮮総連の活動家にそう言って姿を消したのは、73(昭和48)年6月のことだった。

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高工作員の後にリーダーとなったのは、在日朝鮮人で元取締役の木下陽子(日本名)容疑者(74)だった。大学在学中に「在日本朝鮮留学生同盟」に出入りしたことがきっかけで同社に入社。高工作員が北朝鮮に戻った後、自ら北に出向き、組織運営の指示を仰いだ。帰ってきた木下容疑者は「朝鮮労働党工作機関幹部になった。これからは私の指示に従ってもらう」と宣言した。

木下陽子容疑者
木下陽子容疑者

「身勝手な激情型」「ヒステリック」。同社元関係者らは木下容疑者について、そう証言した。

夫の失踪後、渡辺さんは同社を訪ねたり、周辺で消息確認したりした。スパイ活動の発覚を恐れた木下容疑者は〝本国〟の意向もあり、母子の拉致を決める。渡辺さんに「親子でご主人がいる共和国へ送ってあげる」といって懐柔した。

渡辺さんと、敬美ちゃん、剛ちゃん姉弟は別々に〝軟禁〟され、工作員のアジトなど目黒区周辺を転々として半年ほどが過ぎた。

「一体いつになったら、夫の元に連れて行ってくれるの」。業を煮やした渡辺さんを見て、木下容疑者が配下の工作員の男に殺害を指示したことが警視庁などの調べで判明している。遺体は見つかっていないが、渡辺さんは殺害された可能性が指摘されている。74(昭和49)年3月ごろのことだ。

姉弟はその3カ月後、福井県小浜市の海岸から北朝鮮に拉致された。現場は帰国した拉致被害者、地村保志さん(66)、富貴恵さん(66)夫妻の拉致現場から約5キロの地点。敬美ちゃんが7歳、剛ちゃんは3歳だった。

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拉致に関与した同社元関係者らは警察の調べに、「カチッ、カチッ」と石をぶつける音を合図に、暗がりから現れた男たちと接触し、姉弟と一緒に船に乗り込んだと供述。「眠り薬を飲ませたのに子供が起きてびっくりした」「船酔いがひどくて大変だった」などと詳細も語ったという。

姉弟が北朝鮮到着後、どうなったかは分からない。だが、父である高工作員と一緒に暮らした形跡はない。高工作員は帰国後、政治犯収容所に送られたとの情報がある。

捜査が自分に及ぶことを恐れた木下容疑者は79(昭和54)年、北朝鮮に渡り、平壌市の高級住宅街で「洪寿恵(ホン・スヘ)」の名で暮らした。警視庁などは2007(平成19)年4月、姉弟拉致事件の主犯として、国外移送目的略取容疑などで木下容疑者の逮捕状を取り、国際手配した。

姉弟は政府認定の被害者リストには入っていないが、警察当局は北朝鮮による拉致事件と認定している。帰還事業で北に渡った親族を人質に取られた形の一部の在日朝鮮人らが工作員や補助工作員となり、日本人拉致に関与してきたことは警察当局の調べから明らかだが、朝鮮総連幹部直系の在日工作員らが同胞にも手をかけていたことは、在日社会にとっても衝撃だったに違いない。

安倍晋三首相(当時)は「日本国籍であろうとなかろうと、日本の法律を破って子供を連れ去るのは許されない」と述べた。明確な主権侵害である。

冒頭の在日コリアン集会の最後には、①「拉致はでっちあげ」と主張してきた朝鮮総連は被害者家族に直接謝罪する②朝鮮総連は共和国に対し拉致事件の真相解明を強く働きかける③朝鮮総連は拉致事件への組織の関与を調査し、その有無を公表する-ことを求める決議案が読み上げられ、拍手で内容が容認された。

だが朝鮮総連は長い間沈黙を貫いた。今では「拉致問題は解決済み」との北朝鮮のスタンスを踏襲する。

またしても、である。

=次回は6月11日掲載予定

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