朝晴れエッセー

楽しい誤解・5月14日

息子は元来おしゃべりで、大学生になった今でも、父親であれ母親であれ、家の中ではいつも自分の話を聞いてくれる相手を求めている。

小さい頃は、それがいとおしく感じられたものだったが、今ではむしろ邪魔に思うことが少なくない。こちらがテレビを見たり新聞を読んだりしているときに話しかけられても、いちいち相づちを打つのが煩わしくなる。一応聞いてはやるけれど、うわの空でつい生返事をしたり、話がかみ合わなかったりすることもしばしばだ。

今年になって、息子は自動車教習所に通っている。学科でも実習でも、行ってきた日はどうだったか、次の講習はどうだろうか、こちらのことなどお構いなしにしゃべっている。そんなある夜、こちらが考え事をしているときに、ふっと耳に入ってきた息子の言葉。「明日はチュウシャをするんだよ。難しいだろうなぁ」。ん? 珍しくその物言いが耳に引っかかった。

「お前、その日本語はおかしいよ」「なんで?」「だってチュウシャは『する』もんじゃない。『打つ』もんだろ」「え? 打つ?」「そうだよ。そもそも、打つのは医者で、お前じゃないだろ。そこからして、おかしい」「いやいや、明日はチュウシャの実習があるんだよ。自分でうまくできるかどうかってこと」

チュウシャの実習…あっ、「駐車」か! 私の頭の中には、翌日に控えたコロナワクチンの3回目接種のことしかなく、チュウシャは「注射」にしか聞こえていなかったのだった。久しぶりに2人して大笑いしたのは言うまでもない。

鈴木祥平(53) 東京都練馬区

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