家族がいてもいなくても

(733)時の過ぎゆくままに

イラスト・ヨツモトユキ
イラスト・ヨツモトユキ

コロナのせいで、止まっていたことを先に進めようと、東京の家に戻った。

言ってみれば終活。

両親の遺品も、いずれ自分の遺品となるであろうものも、今のうちにちゃんと整理をしておかなければと思ったのだ。

たぶん、きっかけは膝を痛めたせい。「歩くと痛い!」というあまりにリアルなその体験が、私を目覚めさせた。

おまけに「歳(とし)をとると、みんなそうなるんだ」と、医者からも言われ、周りからも言われ、そして思い出した。

突然、倒れる前に膝が痛いと病院に通い始めていた母のこと。歩くのがおぼつかなくなって、散歩の時に私と腕を組むようになった父のこと。

そう、老いはじわじわとやって来るのではない。急にガクッとくる。そして、またガクッと。このガクッ、ガクッ、のリズムで進んでいくのだ。

というわけで、とりあえず、家に着いたとたんに、なにがどうなっているのか、家中のクローゼットを点検してみた。

それから、コロナ禍中の不在で、2年も放置していた部屋の掃除をして、自分の滞在中の気分をアップさせようとも考えた。

ところが、掃除機が壊れていた。外を掃く箒(ほうき)もない。それらを買いに行くために、まずは、自転車の空気を入れようと店にずるずる引いていったら、「このまま乗るとタイヤがバーストするかも」と言われた。

いたしかたなく新しい自転車を購入し、いろいろと買い物をして戻り、ちょっとだけのつもりでご近所宅に顔を出した。

そうしたら、そのまま花にあふれた心地のよいお庭でのおしゃべりになった。すると、「あらあ、お久しぶり」と、住宅組合の広報係を引き継いだ知人が立ち寄ってくれて、さらなる思い出話に花が咲いた。

思えば、この住宅地は、わが長い長い放浪人生の最後にもっとも長く住み続け、両親の介護に明け暮れた場所だった。

介護中は、お出掛けできないなら、ここでやればいいわ、と自宅を人形劇場にしたので、いろんな人がやってきた。コンサートや、陶人形教室までやったりして…。

楽しかったわねえ、などと話しているうちに、あっという間に夕暮れ。そんなこんなで、結局、終活作業は進まずじまいに。

こうして、常に先の見えないままに、時は過ぎていく。それが人生というものかも、とわずか一日で悟った気分の私だった。

(ノンフィクション作家 久田恵)

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