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神宿る島で紡がれる歴史の物語 厳島(広島県廿日市市)

海上に鎮座する厳島神社。古くは島全体が神域で禁足地とされてきた
海上に鎮座する厳島神社。古くは島全体が神域で禁足地とされてきた

いにしえから「神宿る島」と崇拝されてきた厳島(宮島)は、国内屈指の観光客数を誇る。弘法大師に所縁(ゆかり)のある深い緑の弥山(みせん)と、桜や紅葉などで彩られる自然の風光が美しく、威厳を放つ厳島神社の存在を引き立たせる。平成8(1996)年に、厳島神社とその前の海および弥山原始林が世界文化遺産に登録された。外国人観光客も増え、24年には来島者数400万人超を記録した。

厳島神社は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神をまつる。創建は推古天皇元(593)年で、三女神が厳島をごらんになってご鎮座地に決め、島の近くで釣りをしていた佐伯鞍職(さえきのくらもと)にお社を造るよう頼んだと伝わる。

その後、安芸守の平清盛が平家の守護神としてあがめ、仁安3(1168)年に社殿を当時の貴族の住宅である寝殿造りに修造した。皇族や貴族も訪れ、舞楽など都の文化が伝えられた。また、天文24(1555)年に毛利元就(もとなり)が陶晴賢(すえはるかた)に奇襲をかけて破った厳島の戦いも、厳島が舞台だ。戦後、毛利は神域であった厳島を汚した非礼を謝し、戦死者をいち早く対岸へ運び、社殿を洗い清めて、戦死者を手厚く供養した。

14世紀末から15世紀初頭にかけて町が形成されていき、江戸時代には多くの参拝者が訪れるようになった。西町地区は最も古い町並みが見られる。寺も多くあったが、明治維新の廃仏毀釈(きしゃく)によってほとんどが破壊された。西町のメイン通りである情緒的な滝小路を歩けば、行き着く先は大聖院という寺だ。皇室との関係も深く、豊臣秀吉らもあつく信仰したといわれる。

歴史上の名だたる人物に尊崇された島で、伝統工芸も脈々と続いている。その代表である杓子(しゃくし)は、江戸時代後期に光明院の僧、誓真(せいしん)が夢の中で弁財天の持つ琵琶の形からヒントを得て、作り方を島民に教えたのが始まりとされる。

杓子職人の小田隆一さん。イベントや祭りには大きな杓子も使われる
杓子職人の小田隆一さん。イベントや祭りには大きな杓子も使われる

それを機に、島の主産業として杓子作りが盛んになり、「敵や福をめしとる」という意味が込められた必勝・招福の縁起物として全国的に広まった。杓子職人3代目の小田隆一さんによれば、「昭和42年以降は1日2千本の杓子をつくるほど需要があった。それがプラスチック製が出まわって、衰退してしまった。けれど自然の材料に勝るものはない」という。

工房に入ると、ヒノキなどの木の香りがふわりとした。この匂いも200年以上にわたって島に彩りを与えてきたはずだ。時代による変化や人の思いもまた、厳島の長く深い歴史の物語として紡がれていくだろう。

■アクセス

廿日市市の宮島口桟橋からフェリーで。広島市の広島港などからの高速船のルートもある。

■プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。

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