大阪市中央区のホテルロイヤルクラシック大阪で10日に開かれた「関西中堅企業の会」(幹事=西村賢太・三和実業常務取締役)の5月講演会で、サッカーJリーグ1部(J1)セレッソ大阪の森島寛晃社長が「大阪といえばセレッソ大阪、と言われるクラブを目指して」と題して講演した。講演の主な内容は次の通り。
私は2008年まで18年間、プロサッカー選手としていろいろな経験をさせていただきました。引退後はセレッソ大阪のアンバサダーとして広報活動に取り組み、さらにチーム強化に携わった後、18年に代表取締役社長となりました。引退したときに「監督としてピッチに戻ってきます」と言いましたが、このセレッソ大阪が世界に誇るクラブになるようにという気持ちは変わっていません。
もうすぐクラブ創設30周年を迎えるにあたり、改めてクラブ理念を策定し「大阪のシンボルとして、アジア、そして世界に咲き誇るクラブになる。最高にワクワクするエンターテインメントを提供するクラブになる。スポーツとその関連領域を牽引(けんいん)する育成型クラブになる」といったビジョンを掲げました。
セレッソはどんどん人を育てるクラブでありたい。実績ある選手を獲得するのではなく、自分たちでトップチームの中心選手を作っていく。セレッソには「ハナサカクラブ」というシステムがあります。皆さんから寄付をいただき、育成組織に所属する選手たちの遠征費を補助するものです。
私自身、高校卒業後に2カ月間、ブラジル留学をさせてもらいました。若い選手は早い段階で世界を経験することで、自分の足りないところをより肌で感じることができる。こうして経験を積んだ選手がトップチームに上がっていくようになりました。今、J1ヴィッセル神戸にいる山口蛍はその1期生です。
Jリーグの理念でもありますが、地域密着も大事にしています。学校の授業でサッカーの動きを取り入れた指導をしたり、商店街のお祭りに参加したりもします。行政とも連携し、放置自転車や防災マップなどを知ってもらう活動もしています。今後はシニアの皆さんに生き生きしてもらうために、ウオーキングフットボールというものを考えています。
サッカーの魅力を伝えつつ、地域一体となった取り組みを展開し「スポーツといえばセレッソ」と言ってもらえるように、引き続きしっかりと活動していきたい。大阪をもっともっと元気に、夢や感動を与えていきたいと思っています。
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もりしま・ひろあき 1972年、広島県出身。静岡・東海大一高(現東海大静岡翔洋高)を経て、91年にセレッソ大阪の前身、ヤンマーディーゼルサッカー部に入団。日本代表でも活躍し、ワールドカップは98年フランス大会と2002年日韓大会に出場。08年に現役を退いた後はセレッソ大阪のアンバサダー、チーム統括部を経て、18年12月に社長に就任した。