1991年12月1日、当時のソ連ウクライナ共和国の首都キエフに、モスクワ特派員だった斎藤勉記者の姿があった。完全独立の是非を問う国民投票と初代大統領を決める選挙を取材するためだ。独立賛成は90%を超えた。
▼大統領選を制したのはクラフチュク氏である。前年まで共和国共産党のエリート官僚だったが、ソ連政変を機に独立派に転じていた。クラフチュク氏はまもなく、ロシアのエリツィン大統領、ベラルーシのシュシュケビッチ最高会議議長との首脳会談に臨む。
▼斎藤記者は、合意文書に目を通した時の驚きを昨年末の連載記事でこう表現していた。「頭に電撃が走った」。「ソ連消滅」のニュースがたちまち世界を駆け巡った。