昭和47年5月の沖縄の本土復帰直前、100箱以上のコンテナに積み込まれた大量の日本円を現地まで輸送する史上類を見ない計画が決行された。ドルから円への切り替えは、本土復帰を象徴する大事業。失敗の許されない特命に携わった元日銀マンの脳裏には、50年前の苦闘が鮮やかに刻まれている。(内田優作)
本土復帰まで1年1カ月となった46年4月15日、日本銀行本店に「那覇支店開設準備室」がひっそりと立ち上げられた。初期メンバーはわずか6人。30~40代の精鋭が集められ、支店開設時には支店長や課長での赴任が内定していた。
考査局調査役から準備室次長になった堀内好訓(よしくに)さん(94)=東京都世田谷区=は、半世紀がたった今も室長の新木(あらき)文雄さん(故人、のちに那覇支店長)のひと言が忘れられない。