正論ヒストリア

日本・タイ 軍事同盟と友好の記憶海軍兵学校の戦前の日本製軍艦

タイ王国海軍兵学校に保存されている日本製の海防戦艦「トンブリ」(2020年1月、小島新一撮影)
タイ王国海軍兵学校に保存されている日本製の海防戦艦「トンブリ」(2020年1月、小島新一撮影)

ロシアによるウクライナ侵攻で国連中心の国際秩序が根本から揺るぎ、かわって複数国の同盟による集団防衛が改めて重視されている。

日本の同盟関係といえば、現在の日米同盟や、明治時代の日英同盟が、まず思い浮かぶ。ただ、この「親日国」との同盟関係を思い出す人は少ないのではないか。

タイの首都バンコク近郊、タイ王国海軍兵学校(サムットプラーカーン県)の校庭に、戦前の日本が建造した海防戦艦「トンブリ」の艦橋と主砲部分が保存されている。戦前の日本が建造した軍艦はほとんど現存しておらず、その姿を見ることができる貴重な存在だ。

海防戦艦は沿岸防衛を目的とした軍艦で、「トンブリ」は当時のタイ海軍の旗艦だった。タイの発注により日本で建造され、1938(昭和13)年に就役。41年1月、現在のカンボジア(当時の「仏印」)との国境の沖合でのフランスとの海戦で損傷、転覆。その後引き揚げられたが、戦艦としては復帰せず、係留されたまま戦後も長くタイ海軍の練習艦として長く用いられた。

大東亜戦争開戦前、東南アジアの独立国はタイだけ。アジア全域でも、日本やトルコを除き、ほとんどが西欧の植民地だった。

日本が米英と開戦した直後の41(昭和16)年12月21日、日タイ両国は「日泰攻守同盟条約」を締結。タイは日本と同盟国となり、翌42年1月25日には英米に宣戦布告している。

タイはそれ以前から数少ないアジアの独立国家同士として日本に好意的だった。英仏などの圧力を受け続けてきた中で、日本と同盟を結ぶのは自然な成り行きだっただろうが、「日本に強制された」といった見方も一部にはある。

ただ、国際的な世論調査などではタイ国民の親日感情は現在も根強い。「トンブリ」が、両国の絆の歴史の証人として保存され続けることを願う。 (大阪正論室長 小島新一)

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