「大空襲を語り継ぐ」熱意持ち続け 早乙女勝元さん死去

早乙女勝元氏
早乙女勝元氏

10日に90歳で死去した作家の早乙女勝元さんは、今年開館20周年を迎えた「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)の設立の中心となり、大空襲の記憶を後世に伝える熱意を最後まで持ち続けた。今年3月の「東京大空襲を語り継ぐつどい」にも収録映像で出演。センターの石田博美執行理事は「東京大空襲の体験者に寄り添おうとしていた」と早乙女さんの姿勢を振り返った。

センターには早乙女さんを追悼するコーナーが設けられた=11日午後、江東区(深津響撮影)
センターには早乙女さんを追悼するコーナーが設けられた=11日午後、江東区(深津響撮影)

「体験者は涙を振り絞って話してくれた。話を聞いた以上、責任が伴う。資料を生かして、東京大空襲を語り継いでいってほしい」

3月6日に江東区のカメリアホールで開かれた「つどい」で早乙女さんは、自身の戦争体験やセンターの設立経緯を振り返り、語り継ぐ役目を参加者に託していた。

センターが設立されたのは平成14年。都が進めようとした東京大空襲犠牲者を追悼する「平和祈念館」構想が、偏向展示の問題で事実上凍結されたことを受け、早乙女さんは自身が中心となって民間での設立に向けて活動を開始した。最終的に4000を超える個人や団体から、1億円以上の募金が集まった。

設立後は講演会で施設を紹介したり、募金を呼びかけたりして運営を支えた。石田さんは「『早乙女さんがやっているから』と支援してくれる人もいた。館の運営は早乙女さんの熱意が大きかった」と話す。

14年から17年間、館長を務めた。常駐はしていなかったが、強い希望があれば見学者に自身の空襲体験や、戦災史をまとめる中で知った体験談を話すこともあったという。

「知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」

修学旅行などで訪れた子供たちに、頻繁にこう語って聞かせた。これからを生きる世代に平和を受け継いでもらいたいという思いが込められていた。

「センターを残してくれたのが早乙女さんの一番の功績。場所があるから人が来て、東京大空襲について身近に感じることができる」と石田さん。早乙女さんの本を読んでセンターを訪れ、「家族にも話せなかったことを、やっと話せる」と空襲体験を明かす来館者も多くいたという。自分より大変な思いをした人の話を伝えようと、早乙女さんは講演や執筆に取り組み続けた。

令和元年に名誉館長に退いた後も活動を続け、昨年には自身の空襲体験を基に紙芝居「三月十日のやくそく」を発表。今年3月6日の収録映像が、公に見せた最後の姿となった。

「ごく当たり前の日常が続くことが平和なんだ」と語っていた早乙女さん。ロシアによるウクライナ侵攻については「早く停戦になってほしい。戦争の傷や思いはずっと引き継がれていく」と心を痛めていたという。(深津響)

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