「飛鳥美人」壁画で知られる高松塚古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)とともに、幻の鳥・朱雀(すざく)などが描かれたキトラ古墳(同)。極彩色壁画の古墳は国内にこの2つしかなく、壁画はいずれも墳丘内での保存が困難として専用施設に移された。文化庁の検討会委員として両古墳の保存に関わったのが、百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大名誉教授(73)=美術史。「高松塚は人の手が入りすぎたことで劣化につながった。人の力を過信したのが教訓」と指摘。「第3の壁画古墳が見つかれば、最小限の調査にとどめて石室を閉じ、後世の技術に託す判断も必要」と提言する。
高松塚古墳で壁画が発見されたのは昭和47年3月21日。大学院生だった百橋さんは「まさか日本にこれほどの壁画があるとはと、多くの専門家が興奮した」と振り返る。
同様の人物壁画は、中国や朝鮮半島北部の高句麗の古墳で知られていた。百橋さんは「大陸から見ると辺境の地ともいえる日本に、壁画古墳はないと考えられていた。当時の首都・飛鳥で見つかったことで、大陸から次々と文化がもたらされたことが裏付けられた」と指摘。大陸の文化圏から取り残された地域ではなかったことが示された点でも、重要な発見となった。
北朝鮮研究者「わが祖先が描いた」
昭和40年代、国境を越えた研究はまだまだハードルが高かった。戦後途絶えていた日本と中国の国交が回復したのは、47年9月。皮肉にも壁画発見はその半年前で、日本人研究者が中国の壁画古墳を視察するのは極めて困難だった。「壁画研究は中国の専門書の写真ぐらいしかなかった」と百橋さん。高句麗の壁画については、日本が戦前に一部の古墳を調査した資料があったが、北朝鮮での再調査は望むべくもなかった。