滋賀の秘石~石山寺のお宝

㊦ 地域の中心への復帰をかけて

ひっそりとたたずむ石亭翁登遊碑
ひっそりとたたずむ石亭翁登遊碑

京阪石山寺駅を出て、しばらく瀬田川沿いに南へ歩くと右側に石山寺への参道が延びる。その入り口に、立派な石碑が立っているが、注意をひかれる人は少ないようだ。

石山寺境内に残る切り出された石。しめ縄が畏敬の念を示している
石山寺境内に残る切り出された石。しめ縄が畏敬の念を示している

「石亭翁登遊碑」。寛政年間(1789~1801年)というから、木内石亭が晩年に訪れたのだろうが、それにしても大きな石碑である。残念なことに風雨にさらされ、細かな碑文はほとんど読めない状態にある。時代が下り、明治になると西洋式の科学が大いに導入され、江戸期の本草学の大家は次第に忘れられていったのか。そしてそれと同時に寺社の役目も変化せざるを得なくなっていった―。

石山寺の鷲尾龍華(りゅうげ)座主は、今回の展覧会について「石は寺名の由来ともなった大切なもの。石を愛(め)で、大切にしてきた日本人の感性をお伝えできれば」と話す。そして、石山寺をどうしていくのかについて「仏様だけでなく、寺を囲む岩や自然も神仏のよりどころとして人の心に安寧の場所としてもらえるような寺にしたい」と語った。

一方で、「社会が細分化され、専門性が高くなることで寺院の役割は少なくなっていった」と語るのは近江ARSを提唱している三井寺の福家俊彦長吏だ。かつては地域の中心にあって、文化や社会を支える一方で豊かな多様性を受け入れて、それを社会へ還元し、その一つが芸能であった、とも。「今の社会は専門性や役割が細分化され過ぎ、全体として均質性を求める仕組みになっているようにみえます。かつて別所と呼ばれた場所に住まわせた人々に芸能という居場所を与えたように、寺自身が社会の多様性を生み出す場所になれば」という。ARSとは「もう一つの現実の在り方(Another Real Style)」だ。

このARSに、県内外から賛同と協力の手が伸びつつある。大阪大学の伊藤謙講師もその一人だ。薬学が専門の伊藤氏は幼少から鉱物や化石を集める本草学的人物で「石山寺での企画を起爆剤に、寺院が地域で果たす役割を新たに構築するために協力したい」と意気込んでいる。(大阪大学総合学術博物館研究員・清風学園常勤顧問 藤浦淳)

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