滋賀の秘石~石山寺のお宝

㊤ 物言わぬ石が秘めた物語

石山寺境内の珪灰石露頭(硅灰石として国天然記念物指定)
石山寺境内の珪灰石露頭(硅灰石として国天然記念物指定)

その石の標本の確かな由来は、誰も知らない。収蔵庫に、他の宝物とともに長い間、眠っていたという。江戸中期、石山寺に尊賢僧正(1749~1829年)という学僧がいた。博物学的な関心と知識を持ち、「石山寺一切経」(国重文)を残し、寺の縁起をいくつも著す傍ら石山焼を開窯、茶道も良くしたという。

木内石亭著の雲根志(石山寺蔵)
木内石亭著の雲根志(石山寺蔵)

そのころ、近江に一人の本草家(ほんぞうか)がいた。坂本で生まれ、幼少期から石を愛したコレクター・木内石亭(1725~1808年)。平賀源内や大坂の木村蒹葭堂(けんかどう)ら当時一流の本草学者らと交わり、その著書「雲根志」3編には1300種を超える鉱物や岩石、化石が、奇石などとして紹介されている。

2人の交流は深く、石亭は度々寺を訪れていたから、尊賢が石亭に感化されて奇石を収集するのは自然のことだったろう。また石亭が寺に標本を寄進したかもしれない。物言わぬ数々の石が、この寺を巡る奇石の物語を秘めて残された。そして、珪灰石(けいかいせき)という鉱物の大露頭の上に建つ石山寺ならではのこの石の標本が注目を集め始めている。

現在見られるのは、昭和40年代に京都の鉱物研究家で正倉院の薬石研究でも高名な益富寿之助(ますとみかずのすけ)(1901~1993年)が整理し、ラベルや箱などを新調したもの。県内にとどまらず、全国各地の名石、珍石がそろっている。そこには江戸時代の日本人の、自然に対する思いや畏敬の念、遊び心など、当時の文化が幾重にも積もっている。(大阪大学総合学術博物館研究員・清風学園常勤顧問 藤浦淳)

日本の寺院はかつて、学問や医術、文化の集積地であり地域を動かし、産業を育てる拠点でもあった。そのかつての役割を新たな形で取り戻し、地域に貢献するプロジェクト「近江ARS」が三井寺や石山寺、県内企業の協力で動き出した。そのスタートアップ企画「石山寺に残る奇石の軌跡~尊賢僧正と木内石亭から益富寿之助~」が石山寺本堂で開催されている(15日まで)。このユニークな展覧会とともに、新たな取り組みの始まりを3回に渡って紹介する。


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