永興寺(ようこうじ) 五
「すなわち厳島(いつくしま)こそ毛利の命運をにぎる要で、厳島を取れば――毛利は崩れ去る」
三浦越中守(みうらえっちゅうのかみ)、桑原一族など水軍にまつわる者どもが晴賢(はるかた)の言葉に深くうなずいた。弘中隆兼(たかかね)、大和興武(やまとおきたけ)、羽仁越前(はにえちぜんの)守(かみ)の面差(おもざ)しは、硬い。
晴賢は言った。
「今出た二つの案では元就(もとなり)の首を取るまで時を要しすぎる。周防(すおう)、長門(ながと)、石見(いわみ)の者はよいかもしれぬが、筑前、豊前(ぶぜん)の者は難渋しよう?」