小林繁伝

江夏の処遇…吉田監督の手腕は 虎番疾風録其の四(43)

江夏(右)と笑顔で握手する阪神の吉田監督=昭和50年1月
江夏(右)と笑顔で握手する阪神の吉田監督=昭和50年1月

阪神の吉田新監督にとっての最大の課題はやはり「江夏の処遇」だった。

昭和49年シーズン、江夏は12勝14敗8S。上位チームの中日には0勝3敗、巨人戦には1勝5敗と打ち込まれた。

7月27日からの札幌で行われたヤクルト3連戦では、全員が同じ宿舎に泊まりながら江夏一人がグラウンド入りに遅刻。9月には練習を無断欠勤。ついには田淵や藤田平ら主力選手からの不満の声が噴出し、小山投手コーチとも言葉も交わさなくなっていた。10月29日に行われた初コーチ会議ではほとんど全員が「江夏放出」に賛成した。

当然、他球団も江夏獲得に動き出した。コーチ会議が行われた29日には、日本ハムの三原社長が大阪・梅田の電鉄本社に長田球団社長を訪ね「もし、江夏君を出すのだったら、ウチにも声をかけてください」と譲渡を申し出たのである。

球団も本社上層部もそしてマスコミも今度ばかりは「放出やむなし」とみていた。ところが、吉田監督の考えは違っていた。

「本人がタイガースでヤル気があるなら、無条件でトレードに出す考えはありません」と〝江夏放出〟を完全否定したのである。

「江夏は残したい。相当な悪評も聞きましたし問題は多々ある。けれど、やりようによっては彼の力をフルに生かせると思うんです。彼には潜在能力がありますから」

当時、虎番だった平本先輩によると、吉田は評論家時代から「私なら江夏をもっとうまく使いこなせる」と言っていたという。

「ヨっさんは自信家やからな。江夏という〝悍馬(かんば)〟を乗りこなせるのはオレしかおらん―というところを見せたかったんやろう。ただ、ヨっさんでもそれは無理やったけどな」

結局、2人の関係は50年の1シーズンで決裂。51年1月には南海へトレードされる。

吉田監督は11月1日に江夏と1対1で話し合い。9日には小山投手コーチとの3者会談を行った。その話し合いの中で吉田は江夏に「投手コーチの指示は監督の指示と同じ。今後は従っていけるか」と迫ったという。

「過去を反省し、監督の方針に従います」。江夏は頭を下げた。(敬称略)

■小林繁伝44

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