鑑賞眼

「SONGS&FRIENDS」SKYE 音楽のバトンは渡された

本間と水野は足立佳奈、荒井麻珠(まじゅ)、竹内アンナ、MeiMei(メイメイ)という10~20代の若い歌手を伴い、いきものがかりの「YELL(エール)」を披露した。ちなみに「YELL」の録音時の編曲を手掛けたのは松任谷だった。

「今夜は、10代から70代までのミュージシャンがそろった」と武部。ニューミュージックのDNAが、10代まで脈々と受け継がれていることを証明した。

そして、いよいよSKYEの登場だ。重心の低い演奏は泥臭く、シティポップ、ニューミュージックのの源流が洋楽ロックにあることを示した。

また、SKYEは、かまやつひろし、加藤和彦、そして小坂忠の楽曲を演奏。SKYEもまた先達からバトンを受け取った走者なのだ。

加藤が作曲したザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」は、ベースの小原の妻でもあるシンガーソングライター、尾崎亜美(65)が歌った。まるで加藤が、ロシアのウクライナ侵攻など現代のありようを嘆いているかのような歌唱だった。

続いて、さかいが小坂の「機関車」を熱唱。残念なことに小坂は、このコンサートの前日に73歳で亡くなっていた。

さかいが歌う前に松任谷は、「実は、小坂は今夜、出演の予定だった」と明かした。近くのホテルを予約するなど、病気療養中の小坂を迎え入れる準備を万端整えていた。

だが、10日前に「会場入りは難しそうだ」と連絡があった。せめて、さかいが歌うのを携帯電話越しに病床の小坂に聴かせよう。松任谷は考えたが、それもかなわなかった。

松任谷によれば、大学1年生のときに林から誘われ、参加したのが小坂のバックバンドだった。だが、「そこにいることに違和感をおぼえた」と1年半で小坂のもとを離れた。

その後、松任谷は演奏家、編曲家として大勢のシンガーソングライターを裏から支える。その1人が、後に結婚する荒井由実だ。そして、たくさんの名盤を世に送り出す。その1枚が、小坂の名盤「ほうろう」だ。

松任谷は「ほうろう」の録音に参加して、「僕は、忠さんのことを何も理解していなかったんだ」と、若い頃を悔やんだ。

平成29年に小坂ががんで大きな手術を受けたことを知った松任谷は、武部に「SONGS & FRIENDS」で「ほうろう」を取り上げることを提案。30年に実現させた。

「僕は、そのとき初めて本当の意味で忠さんと対峙(たいじ)した。本当に一生懸命に取り組みました。そして、自分は忠さんに愛されたかったのだと気がついた」と松任谷は振り返る。

「機関車」は「ほうろう」の収録曲で、小坂本人が歌いたいと希望したが、かなわなかった。「でも、もしかしたら携帯なんかで聴かせるより、忠さんに届いたかもしれない。ありがとう」。空を見上げるようにステージで顔を上げると、松任谷はしみじみと語った。

先達から若者へ。後悔から感謝へ。音楽のバトンは、さまざまな形で、しかし確実に手渡されている。

そんなコンサートを締めくくったのは松任谷の妻、由実だ。ニューミュージックの、いや日本軽音楽の女王。「SKYEは新人バンドだから持ち歌が少ないのよ。代わりに歌うわ」

堂々たる貫禄で無数のヒット曲から選んだのは、「卒業写真」。JUJUとデュエットだ。サビでは下のパートを受け持ち、2人できれいなハーモニーを聴かせた。

ギターの鈴木がレコード通りの独奏で、客席をうっとりとさせる。それはそうだ。この歌を収録した47年前の名作アルバム「COBALT HOUR(コバルト・アワー)」でギターを弾いた本人。この名盤には、松任谷と林も参加していた。

サビの最後の箇所で由実は、バンドのほうを振り返り、抱きしめるように、両腕を広げて歌った。こんな内容の歌詞だ。あなたは私の青春そのもの…。(石井健)

「SONGS & FRIENDS Music Tree Grow to the SKYE & their family」。4月30日、パシフィコ横浜国立大ホールで。2時間50分。

公演評「鑑賞眼」は毎週木曜日正午にアップします。

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