永興寺(ようこうじ) 一
陶晴賢(すえはるかた)が山口を発(た)ったのは弘治元年、九月三日。
もう晩秋であり、山口では稲刈りが終わり、二万七千の大軍を受け入れる前線、岩国では頭(こうべ)を垂れた稲穂に鎌を入れる間際であった。
隆兼(たかかね)はこの日、出陣したいという岩次(いわじ)の申し出を退けた。急に背ものび見違えるほど逞(たくま)しくなってきた岩次は、
「殿様に引き立てていただいて、隆助様に薙刀(なぎなた)をおそわってきました。役に立つ処(ところ)をお見せしてぇんです」
永興寺(ようこうじ) 一
陶晴賢(すえはるかた)が山口を発(た)ったのは弘治元年、九月三日。
もう晩秋であり、山口では稲刈りが終わり、二万七千の大軍を受け入れる前線、岩国では頭(こうべ)を垂れた稲穂に鎌を入れる間際であった。
隆兼(たかかね)はこの日、出陣したいという岩次(いわじ)の申し出を退けた。急に背ものび見違えるほど逞(たくま)しくなってきた岩次は、
「殿様に引き立てていただいて、隆助様に薙刀(なぎなた)をおそわってきました。役に立つ処(ところ)をお見せしてぇんです」