「天才」と称された朝鮮人作曲家がいた。
金順男(キム・スンナム)(1917~86年)。日本統治下の朝鮮で生まれ、日本へ音楽留学。東京高等音楽学院(現・国立音大)、帝国音楽学校で作曲とピアノを学ぶ。作曲家の諸井三郎や原太郎に師事して、バルトークやストラビンスキーら現代音楽の手法を習得した。
まだ20代前半だった1940(昭和15)年、『ピアノソナタ第1番』を発表。42年、朝鮮へ戻った金は、44年には『ピアノ三重奏』や『からたち』『想念』『鉄工所』の歌曲3編などを次々と発表し、注目を集めてゆく。
「天才」と称された朝鮮人作曲家がいた。
金順男(キム・スンナム)(1917~86年)。日本統治下の朝鮮で生まれ、日本へ音楽留学。東京高等音楽学院(現・国立音大)、帝国音楽学校で作曲とピアノを学ぶ。作曲家の諸井三郎や原太郎に師事して、バルトークやストラビンスキーら現代音楽の手法を習得した。
まだ20代前半だった1940(昭和15)年、『ピアノソナタ第1番』を発表。42年、朝鮮へ戻った金は、44年には『ピアノ三重奏』や『からたち』『想念』『鉄工所』の歌曲3編などを次々と発表し、注目を集めてゆく。