朝晴れエッセー

初めて席を譲られた日・5月4日

その瞬間、思考が止まってしまった。

帰宅中の地下鉄で、斜め前に座っていた大学生くらいの男子がすっと席を立ち、「どうぞ」みたいなしぐさをしている。親切な子だなぁとひとごとに思っていたら、譲られているのは自分だった。あれほど頭が真っ白になってしまったことはないかも。えっ、私?と固まった後、にっこり笑っている彼に「大丈夫です」と反射的に言ってしまった。彼は座り直した。

本当に申し訳なかった、と後になって思う。「もう二度と席なんて譲るものか」と彼の親切心を打ち砕いてしまったかもしれない。千代田線(日暮里付近)の彼、ごめんなさい。伏して謝ります。どうかこれからも、優しい気持ちを持ち続けてください。

そうは言っても、自分が席を譲られたことが、ものすごくショックだ。そりゃついこの間還暦になったけど、運動していて身体能力は自称40代、何なら席を譲る側だと思っていたから。でも見た目はおばあちゃんなんだなぁ、と自分を納得させられない。

彼が見たことのないゲーム機を操作していたので、ついついガン見してしまっていたのが、座りたいオーラに見えちゃったかな。最近髪に入れた無数のハイライトが白髪に見えちゃったかなとか、言い訳はつきないのだ。

今夜は眠れそうもない。でも決めた。次回譲られたら、満面の笑みで「ありがとう」と言い座ろう。思いやりあふれる日本にするために。

渡辺かをる(60) 東京都荒川区

 


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