祇園祭に196年ぶり「鷹山」 難局乗り越え巡行復帰へ

懸装品で彩り、試し曳きが行われた鷹山の山鉾。曳き手が辻回しを練習した=4日、京都府京丹波町(渡辺恭晃撮影)
懸装品で彩り、試し曳きが行われた鷹山の山鉾。曳き手が辻回しを練習した=4日、京都府京丹波町(渡辺恭晃撮影)

今夏の京都・祇園祭の後祭(あとまつり)(7月24日)で、196年ぶりに山鉾(やまほこ)巡行に本格復帰する鷹山(たかやま)の「試し曳き」が4日、京都府京丹波町で行われた。江戸時代の暴風雨で懸装品(けそうひん=装飾品)が損傷して巡行に出ない「休み山」となり、幕末の戦火で大部分を焼失したが、10年前から地元の有志らが文献などを基に山を再現。後世への思いも込め、2カ月余りに迫った本番に向けて準備が着々と進められている。

試し曳きは、山の本体を制作した同町内にある工務店の敷地内で実施。囃子(はやし)方が山に乗り、鉦(かね)や太鼓などで祇園囃子を奏でる中、約50人の曳き手らが掛け声に合わせ、懸装品で彩られた山をゆっくりと動かした。山の進行方向を変える「辻回し」も行い、本番さながらに取り組んだ。

運営する鷹山保存会理事長の山田純司さん(67)は、壮麗な姿に目を細めつつ「準備はまだ必要で、今後も練習を重ねていく。本番までに仕上げたい」と気を引き締めていた。

鷹山は江戸後期の文政9(1826)年、山を飾る水引などの懸装品が暴風雨で損傷し、翌年から休み山に。元治元(1864)年の蛤御門(はまぐりごもん)の変で、山は一部を残して焼失した。

復帰の機運が高まったのは10年前。鷹山の拠点・衣棚(ころものたな)町(京都市中京区)の有志が復帰に向けて活動を始め、平成27年に保存会を設立した。地元で生まれ育ち、当初から取り組んできた山田さんは「小さい頃に憧れを抱いた巡行に、いつかは地元で参加したいと思い続けていた」と振り返る。

活動には専門家らも加わり、文献や絵画資料を基に山を設計。高さ約7・5メートル、車輪の直径約2メートルと、ほかの山鉾33基と比べて大きめの山を復元し、赤や金をベースに麒麟(きりん)などが描かれた水引も再現した。当時の囃子は資料がないため、別の山の囃子をアレンジして新たに作り上げたという。

懸装品で彩られた鷹山の山鉾
懸装品で彩られた鷹山の山鉾

祇園祭の創始1150年を迎えた令和元年、巡行に復帰したものの、祭神の掛け軸を収めた唐櫃(からびつ=木箱)を担いで運ぶ形での参加だった。今夏は196年ぶりに山を曳いての本格的な復帰となる。

装飾の一部などは作業の工程や資金面の都合で間に合わなかったが、「本来は修復を重ね、後世につなげていくものだ。続きは次の世代に託したい」。伝統を途絶えさせず継承していきたいとの願いから、未完成の状態にもそんな思いを込めている。

新型コロナウイルス禍で、3年ぶりの実施となる山鉾巡行。山田さんは「祇園祭の由来は疫病退散。コロナ収束を祈りつつ、復帰した姿を観覧する方々に楽しんでもらえたら」と話している。(森西勇太)

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