小林繁伝

ミスターの引き際…王からの「贈る言葉」 虎番疾風録其の四(41)

引退セレモニーで王から花束をうけとる長嶋=昭和49年10月14日、後楽園球場
引退セレモニーで王から花束をうけとる長嶋=昭和49年10月14日、後楽園球場

10月14日の第2試合、ついに長嶋のラストゲームを迎えた。場内アナウンスが始まる。「1番、センター柴田」「2番、レフト高田」「3番、ファースト王」「4番、サード長嶋」。コールのたびにスタンドが大歓声に包まれた。

以下⑤ライト末次⑥ショート黒江⑦セカンド土井⑧キャッチャー森―。川上監督は先発メンバーにずらり〝V9戦士〟を並べた。粋な計らいである。


◇10月14日 第2試合 後楽園球場

中日 000 000 000=0

巨人 002 511 10×=10

(勝)高橋善2勝1敗 〔敗〕金井1敗

(本)柴田⑫(藤沢)高田⑫(藤沢)柳田⑮(堂上)


八回、川上監督自らが巨体を揺らせて一塁コーチスボックスに立った。1死一塁で長嶋の最後の打席が回った。遊ゴロ併殺。長嶋は懸命に一塁へ駆け込んだ。あぁ、終わった…と天を仰ぎ、少し笑いながら走り続けた。

試合後、長嶋はスポットライトの中、マウンドでマイクの前に立った。

『昭和33年、栄光の巨人軍に入団して以来…』で始まる〝惜別の言葉〟。そしてあの名言―『わたくしは、きょう引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です』

「お疲れさまでした」と王が花束を渡す。グラウンドを去る長嶋を横一列に並んだナインたちが見送った。ミスターの目から涙がこぼれ落ちた。王も泣いた。

王が長嶋に初めて会ったのは、東京駅のホームだという。昭和33年10月4日、東京・丸の内の東京会館での入団発表を終えた後、カメラマンの注文で広島戦(静岡)に向かう巨人ナインを見送りに行ったのだ。学生服姿の王は長嶋を前にコチコチに緊張した。「早実の王です」と帽子を取って頭を下げると、「人懐っこいあの笑顔が返ってきた」という。

「去年から芯でとらえた打球が野手の正面に飛ぶようになった。捕れる球が捕れなくなり、打てる球が打てなくなった。衰えた自分の肉体が、どうしようもなく寂しかった」と長嶋は引退の理由を語った。だが、王はいう。

「長嶋さんはまだまだ肉体的にもプレーできた。ただ、ミスターだからこそ、辞めなければいけなかったのだろう」

長嶋への〝贈る言葉〟だった。(敬称略)

■小林繁伝42

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