卑弥呼、仁徳天皇陵、飛鳥美人…古墳からたどる日本国家の源流

国内最大の仁徳天皇陵古墳(手前)。左は国内3番目の履中天皇陵古墳(365メートル)。大阪湾(奥)を望むように築かれた=堺市(本社ヘリから)
国内最大の仁徳天皇陵古墳(手前)。左は国内3番目の履中天皇陵古墳(365メートル)。大阪湾(奥)を望むように築かれた=堺市(本社ヘリから)

日本の国はいつ誕生したのか。古代史最大の謎は「七五三論争」といわれ、研究者の間で議論が分かれる。邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)が登場した「3世紀」、仁徳天皇陵古墳(墳丘長486メートル、堺市)など巨大前方後円墳が築かれた「5世紀」、法治国家ができた「7世紀」-。この謎を解く鍵が、奈良や大阪に集中する天皇陵クラスの古墳。大きさや形の変遷から、国の姿が浮かび上がる。古墳の新緑もみずみずしい季節。鳥居の設けられた天皇陵を仰ぎ見ると、厳粛な気持ちにさせられる。

「3世紀」 箸墓古墳

 卑弥呼と墓ともいわれる箸墓古墳(手前)。すぐ上には宮殿跡が見つかった纒向遺跡が広がる=奈良県桜井市(本社ヘリから)
卑弥呼と墓ともいわれる箸墓古墳(手前)。すぐ上には宮殿跡が見つかった纒向遺跡が広がる=奈良県桜井市(本社ヘリから)

邪馬台国の有力地、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)にあり、卑弥呼の墓ともいわれるのが箸墓古墳(同約280メートル)。3世紀中頃~後半の築造で、卑弥呼が死んだとされる248年とも矛盾しない。同遺跡で発掘された大型建物跡は「卑弥呼の宮殿か」と話題を集め、邪馬台国ロマンが広がった。

「5世紀」 仁徳天皇陵古墳

鳥居が設けられた仁徳天皇陵古墳の拝所。奥は墳丘の前方部=堺市
鳥居が設けられた仁徳天皇陵古墳の拝所。奥は墳丘の前方部=堺市

令和元年に世界文化遺産に登録されたのが仁徳天皇陵古墳。地上からでは前方後円の形が全く分からないほど巨大で、箸墓古墳との差は歴然。約200年の間に国家権力が強大化したことが実感できる。

「7世紀」 高松塚古墳、天武・持統天皇陵

 昭和47年の発見直後に撮影された飛鳥美人壁画(奈良県明日香村教委提供)
昭和47年の発見直後に撮影された飛鳥美人壁画(奈良県明日香村教委提供)
飛鳥美人フィーバーに沸く高松塚古墳。休日には約4000人が押し寄せ、柵にしがみつく姿もみられたという=昭和47年4月2日、奈良県明日香村
飛鳥美人フィーバーに沸く高松塚古墳。休日には約4000人が押し寄せ、柵にしがみつく姿もみられたという=昭和47年4月2日、奈良県明日香村
3月に復元されたばかりの牽牛子塚古墳。天武天皇の母・斉明天皇の墓とされ、白亜のピラミッドを思わせる。築造時の姿を間近に見ることができる唯一の天皇陵ともいえる=奈良県明日香村
3月に復元されたばかりの牽牛子塚古墳。天武天皇の母・斉明天皇の墓とされ、白亜のピラミッドを思わせる。築造時の姿を間近に見ることができる唯一の天皇陵ともいえる=奈良県明日香村

飛鳥時代の宮殿跡や天皇陵が集中する奈良県明日香村。飛鳥美人壁画で知られる高松塚古墳(直径23メートル)は昭和47年3月に発見され、今年はちょうど50年。空前の古代史ブームを懐かしむ歴史ファンは多い。

同古墳の北にある天武・持統天皇陵(八角形、対辺長37メートル)など飛鳥時代の古墳は急に規模が小さくなる。646年に薄葬(はくそう)令が出され、巨大古墳の築造が禁じられた。政治体制が安定し、古墳の大きさで権力を誇示する必要がなくなったためだ。天皇を頂点とする中央集権国家が確立されたという。(小畑三秋)

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