正論6月号

岸田政権への警鐘 「聞く力おじさん」で終わる気か 政治学者 岩田温

石川県輪島市での車座集会に参加した岸田首相(奥左から4人目、代表撮影)
石川県輪島市での車座集会に参加した岸田首相(奥左から4人目、代表撮影)

※この記事は、月刊「正論6月号」から転載しました。ご購入はこちらをクリック

政治において重要なのは結果責任である。為政者がどれほど高邁な理念を抱こうが、結果が惨憺たるものであれば、それは政治家としては失格である。マックス・ウェーバーを引用するまでもなく、政治について考える際の常識と言ってよい。

だが、政治家が政治家になる時、結果責任を問うことは出来ない。結果責任を論ずるのは事後の話であって、事前に我々は結果を知ることは出来ないからだ。ヒトラーを国家の指導者として選出した選挙の際、よもやベルリンが廃墟となることを予見していた有権者は殆ど存在していなかった。結果を見通せぬ人間は漠然とした期待、あるいは他の何かによって政治家を選び出す。偉大な歴史家は結果を知らなかった当時の人々を安易に裁くことはないが、浅薄な歴史家は結果を知った上で歴史を裁く。事が終わった後での批判は容易いが、事が進んでいる際に将来を見通すことは難しい。

岸田文雄という政治家が総理大臣になって半年が過ぎた。我々は彼を政治家としてどのように判断するか。それが小論の主題である。

現時点において岸田内閣はそれなりの高支持率を保っている。それは岸田内閣が何事かを成し遂げたためではない。何もしていないことによって期待が失望へと変化していないためだろう。何事かを決するとき、賛否は分かれるが、何もしなければ漠然とした期待はそれなりに維持される。

運がいいということも出来る。これは皮肉ではない。日露戦争の際、連合艦隊司令長官に指名されたのは東郷平八郎だったが、彼を起用した山本権兵衛はその理由を東郷が強運の持ち主であったからだと述べた。人間には自身では動かすことの叶わないさだめがある。とりわけ政治家にとって強運であることは重要だ。

目的地のない言葉

岸田文雄が強運の持ち主であったといえるのは、現在の野党の状況を一瞥すれば明らかだろう。自民党に代わりうる政党が一つも存在していない。自衛隊を違憲の存在だと言い続ける共産党は論外だが、これと連携しようとする立憲民主党も国民の支持を得ていない。泉健太氏が代表になり、党の人事を刷新したつもりのようだが、殆どの国民は興味すら持っていない。岸田文雄が総裁に選出された自民党総裁選は国民に注目されたが、立憲民主党の代表選挙は全く盛り上がらなかった。玉木雄一郎氏の率いる国民民主党は立憲民主党よりはまともな印象を与えるが、それでも旧民主党のイメージを払拭できていない。昨年の総選挙で躍進を遂げた日本維新の会も到底政権交代が可能な政党には思えない。ウクライナ情勢を巡り、まるでロシアのエージェントではないかと思われる発言を繰り返す鈴木宗男氏や、奇怪な降伏論を繰り返す橋下徹氏の発言も党勢に悪影響を与えているだろう。

要するに自民党に代わりうる政党が全く存在しない中、自民党総裁となった岸田文雄は類い希な強運の持ち主である。さらに、来たる参院選を乗り切れば、党内で岸田下ろしを仕掛ける契機は殆ど見当たらない。

問題となるのは岸田が政治家として何をしたいのかがまるで見えてこないことだ。岸田は自身の「聞く力」を強調するが、政治家はカウンセラーではない。聞く力が不要だとはいわないが、聞くだけでは意味がない。政治家に必要なのは、他者の意見に耳を傾けつつ、自身のビジョンを構築し、その実現に向かい決断する能力だ。

岸田は所信表明演説で奇妙な言葉を引用した。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」。アフリカの諺だという話もあるが、調べる限り出典は不明で率直に言って意味不明の言葉だ。前半の「早く行きたければ一人で進め」も訳がわからない。少し考えれば誰でも理解できるだろうが、一人で歩いていくよりも皆で新幹線に乗った方が早く目的地に到着するだろう。まるで論理性がないのだ。そして後半の「遠くまで行きたければ、みんなで進め」に至っては論理が皆無であるだけでなく、政治家の引用した言葉としては致命的である。論理的に考えて、遠くに行くこととみんなで進むことに関係はない。前に進むことを拒み、戻ろうとする仲間と進むよりも、一人で進んだ方が遠くに進めるからだ。

しかし、こうした論理性の欠如よりもおかしいのは、一国の総理大臣が「遠くまで行きたければ」との言葉を引用することだ。何故、遠くまで行く必要があるのか。むしろ、政治家として必要なのはどこに向かうかを定めることなのではないか。目的地を定めることなく遠くまで行くことを目標に掲げる政治とは一体何なのか。こうした言葉を引用すること自体が不見識だと言わざるを得ない。

何を目指すのかが見えない

一体、岸田は何を目指しているのか。どこに日本を導こうとしているのか。その答えを求め、彼の著書『岸田ビジョン 分断から協調へ』を丁寧に読んでみた。

岸田は自らが政治家を志した「原点」としてアメリカでの経験を挙げる。理不尽な人種差別を経験したというのだ。岸田は「肌や髪、瞳の色」が違っただけで差別されることについてこう綴っている。

「理不尽な差別に遭遇した際、自身はどう振る舞えばいいのか。相手にこちらの意思をきちんと伝えるべきか。しかし、日本語ほど自由に意思を伝えられず、また小学校低学年で表現力も乏しく、日本語にしたところでうまく伝わるかわかりません」

意味が不明なのだ。政治家の原点とまでいうならば、何故この人種差別の経験が政治家岸田文雄を誕生させたのかを語るべきはずだ。理不尽な人種差別のない世界を目指したいと志したから、政治家を目指した。これは一つの理屈だ。だが、岸田少年の表現力が乏しく、政治家を志した原点がまるで見えてこないのである。

では、岸田は何を目指すのか。

岸田の著作を読み解くと彼が宏池会の会長であることを誇りに思っていることが理解できる。


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「正論」6月号 主な内容

【特集】〝脅威〟を見誤るな

新「悪の枢軸」 ボスは習近平 反共鼎談 〈反共3兄弟〉評論家 石平×静岡大学教授 楊海英×産経新聞台北支局長 矢板明夫

ウクライナ侵略から見える台湾のリスク 米シンクタンク「戦略予算評価センター(CSBA)」部長 エヴァン・モンゴメリー、同上席研究員 トシ・ヨシハラ

日本のサイバー能力は「マイナーリーグ」 元米国家情報長官・元海軍大将 デニス・ブレア×元内閣官房副長官補・同志社大学特別客員教授 兼原信克×慶應義塾大学教授 手塚悟

中国が狙い定めた日本企業の技術 明星大学教授 細川昌彦

岸田外交に足りないインド理解 国際基督教大学上級准教授 近藤正規

【特集】岸田政権への警鐘

対露外交 あえて苦言呈す 連載「元老の世相を斬る」 元内閣総理大臣 森喜朗

自民党内の「核」議論 首相が封じていいのか 国家基本問題研究所主任研究員 湯浅博

「聞く力おじさん」で終わる気か 政治学者 岩田温

最優先すべきはデフレ完全脱却 前日銀副総裁 岩田規久男

【特集】怪しい情報に惑わされない

ロシア戦争プロパガンダ 飛びつく危険 評論家 江崎道朗

人間洞察力が情報戦を制す 東京外国語大学教授 篠田英朗

テレビを観るとバカになる 評論家 潮匡人

日本も渦中にある「新しい」情報戦 日本大学教授 小谷賢

全体主義の情報に宿る噓 麗澤大学客員教授 西岡力

【特集】ウクライナ情勢

必要なのはロシアの非ナチ化 国際政治学者 グレンコ・アンドリー

知られざる日宇交流史 神戸学院大学教授 岡部芳彦

ドローンが実現した戦争の「三次元化」 元航空自衛官・作家 数多久遠

【特集】問題化しない大問題

熱海土石流は人災だ ジャーナリスト 三品純

教科書検定の高い参入障壁 「君は日本を誇れるか」特別版 作家 竹田恒泰

弁護士会〝政治決議〟の病弊 弁護士 岡島実

「北海道開拓」何が悪いのか 開拓史家 海堂拓己

「同性愛は先天的」否定する科学的証拠 「フロント・アベニュー」特別版 麗澤大学教授 八木秀次

沖縄が脱却すべき補助金依存体質 評論家 篠原章

「在日ウイグル人証言録⑨」剥き出しの暴力支配 評論家 三浦小太郎

<証言1>アブラ(仮名、男性)「警察官もウイグル人ならダメ」 <証言2>カーディル(仮名、男性)「有為な人材が潰される」 <証言3>ホマー(仮名、女性)「ウイグルに戻ることは不可能」

なぜ日本の潜水艦は世界最高水準なのか 海軍史研究家 勝目純也

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