和歌山県中部の紀伊水道に面した御坊市には、「日本一短い鉄道」として有名な「紀州鉄道」が走る。路線は全長わずか2・7キロ。時速二十数キロ程度で、昭和感の色濃く残る住宅街や、のどかな花畑などの間をゆっくりと抜け、8分ほどで全路線を走り切る。小さなローカル線だが、もともとは昭和3年、地域の有志らが出資して鉄道会社を設立した歴史があり、90年の歳月を超えて今なお、地域の足として愛され続けている。
起点は御坊駅
紀州鉄道は、JR紀勢線御坊駅に接続している御坊駅から南端の西御坊駅まで全5駅ある。運賃は御坊―西御坊間が大人180円、小人90円。
「日本一短い鉄道」としては、距離だけをみれば千葉県の成田国際空港付近を走る芝山鉄道が2・2キロで有名だが、京成電鉄に乗り入れているため、単独では紀州鉄道が日本一短いと鉄道愛好家の間では知られている。
紀州鉄道の出発点にあたる御坊駅は昭和4年、当時の鉄道省紀勢西線の駅として開業した。ただ、駅の場所が市街地から大きく外れていたため、地元有志らが資金を出し合い、鉄道会社を設立したのが紀州鉄道の始まりだ。
6年に御坊臨港鉄道(現在の紀州鉄道)が、現在の御坊駅から市街地の御坊町駅(現在の紀伊御坊駅)までの1・74キロで開業した。その後延伸し、最長時は日高川河口の港にある日高川駅までの全長3・34キロとなった。当時、阪神や東京方面への物資輸送は海運が主流で、港は海運の拠点だった。
開業を喜ぶ地元住民の様子を、当時の地元紙は次のように伝えている。
«今日午前五時十六分・汽笛の初響き・町民喜びにあふる。(略)開式の報伝わるや初乗りを試みる人多く来る車も来る車も全部満員である»
地域に愛され
紀州鉄道は旅客と貨物を輸送したが、当初の主体は貨物。主に特産のミカンや木材などを積んで港まで運び、船積みして阪神や東京方面に送り出した。鉄道は、まさに御坊の経済発展を支えた。
一方で、地域住民に愛され続けたエピソードも残っている。
紀州鉄道にある5駅中、最も新しい学門駅は昭和54年にできた。戦前には、近くに中学前駅があったが、16年、廃駅となっていた。しかし、東隣にある県立日高高校などが地域の足として復活を要請。その熱意が後押しして実現した経緯がある。
そんな地域住民の熱意に応えるように、これまでも紀州鉄道では車内で駄菓子を販売する「駄菓子列車」を運行するなど、地域活性化イベントを開催。
学門駅名は「学問」にも通じると、硬券入場券入りのお守りは今も受験生の人気を集めている。また学門駅構内には「学問地蔵」が鎮座し、地域住民に親しまれている。
抜群の知名度
しかし全国各地のローカル線と同様、紀州鉄道も過疎・高齢化などで利用者は減少傾向にある。
ピーク時の昭和39年度は約105万人が利用したが、令和2年度時点で約7万9千人まで減少。この間、平成元年には西御坊駅から日高川駅までの0・7キロ区間が廃止されている。
それでも紀州鉄道は、長い歳月を経て地域社会に深く根付いている。
紀州鉄道の運輸課長、大串(おおぐし)昌広さん(56)は自宅が線路に近く、「朝は踏切の警報機の音で起こされます。都会にはない田んぼが広がるのどかな風景を楽しんでほしい」と昭和感が残る紀州鉄道の魅力をPRする。
また、鉄道愛好家の間では「日本一短い鉄道」として全国的な知名度を誇り、はるか遠方から訪れる観光客もいる。ローカル線の旅が好きで千葉県佐倉市から観光に訪れたという会社員の男性(54)は、念願の乗車を果たした後、「こんなにあっという間とは…」と短い路線に驚く一方、「(車窓からの)風景も風情があってよかった」と満足そうに話していた。(藤崎真生、写真も)
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