ザ・インタビュー

「何者か」への憧れと焦燥 マキタスポーツさん著『雌伏三十年』

「若い頃は自分のことしか考えないで生きていた。『こいつ共感できねえ』と思いながら書いていましたね」と話すマキタスポーツさん(鴨志田拓海撮影)
「若い頃は自分のことしか考えないで生きていた。『こいつ共感できねえ』と思いながら書いていましたね」と話すマキタスポーツさん(鴨志田拓海撮影)

芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など幅広い分野で活躍を続けるマキタスポーツさん。小説家としてのデビュー作である本書は、文芸誌「文学界」に平成27年6月から28年9月にかけて連載していた作品だ。執筆のきっかけは編集者からの依頼だった。

「当時は文芸誌で小説を書く芸人はいなくて、先駆け的存在になればおいしいかな、と思って引き受けました。でも、連載が始まった直後に又吉(直樹)君が芥川賞を受賞した。すごいなと思ったけど、そのときは自分のことで精いっぱい。連載が始まった小説をなんとかして書き上げないと、という気持ちが強かった」

山梨で生まれ育った主人公、臼井圭次郎は、子供の頃から「俺は人とは違う」という自意識を強く持っていた。東京の大学に進学したものの、ろくに大学に行かず酒浸りの日々を送り、卒業後は親の勧めで親戚が開いた山梨のハンバーガー店で働く。自分の力では何一つ成し遂げていない毎日に焦りを感じ、「こんなとこいたらダメになる」との思いから、再び上京。バンドを結成するも解散、それでも芸人として売れ始めて…。

メインとなるストーリーはほとんどが自身の体験を元にしたもので、当時のことを思い出しながら書いたという。

「苦しい、つらい、という気分の方を覚えていますね。僕は、音楽と社会的な問題を絡めながら考えるのが得意で、そういった文章なら書き慣れているつもりなんですが、小説となると書き方がだいぶん違う。自分が実際に体験したことをそのまま書くと筆がのり過ぎてしまうので、一生懸命自制心を働かせて書きました」

同郷である作家、林真理子さんが帯に「山梨から上京、何者かになろうとあえぐ青春が私と重なる」との文章を寄せてくれた。出身地や成功したしないにかかわらず、「何者かになろう」とがむしゃらに生きる圭次郎の姿に、自身の青春時代を重ねる人は多いかもしれない。

「僕の人生で起こったことがお話としておもしろいものになる自信はなかった。でも、林先生に『普遍的なものが描かれている。自分もそういう人間だった。そういう人間が起こしがちなひねくれ方とかこじらせ方が描かれていて、出方の濃い薄いはあるけど、みんなあるよね』と言っていただいた。自分ではそういうことは意識していなかったけど、そうなのかと思いました」

後半には、子育てや妻の病気、親の死、葬式など、中高年が避けて通れない現実がこれでもかと描かれる。

「ずっと青臭い青春期をやっていた僕のような人間にも、親の介護や家の引き継ぎなど、自分だけではどうにもならないこと、引き受けなくちゃいけないことが降りかかってきた。そこはどうしても書いておきたかった。中高年になり、自分の今までやってきたことのつけがいろいろ回ってきて、でもそこを抜けないと次の人生のステップに進めない、と自然に思えた」

ライブ活動や独自の視点でのコラム・評論執筆、俳優としての活躍も注目され、「ありがたいことに、やりたいことは今、全部できている」と言い切る。ただ、仕事で出会った芸人やミュージシャン、俳優などとの交流では「自分はなんか違うな」と感じている。

「たぶん作家さんと交流してもしっくりこないと思う。各ジャンルに定住して腰を据えている人とはちょっと違った感覚は、僕ならではのものかなと思う。その視点をいかして、これからも創作や表現をいろいろしていきたいですね」

3つのQ

Q故郷・山梨のよいところは?

中途半端なところ。可もなく不可もなく、これといってすごい明確な特徴があるわけじゃないのがいい

Q新型コロナウイルスの流行で生活は変わった?

ちょっと家にいる時間が長くなっただけ。7歳の双子や思春期の子供がいるので結構大変。妻にすれば「何言っているの」でしょうが…

Q音楽業界での今の推しは?

HiHi Jets(ハイハイジェッツ)。雑誌で対談した猪狩蒼弥君にただならぬエネルギーと知性を感じた

マキタスポーツ 本名・槙田雄司。昭和45年、山梨県生まれ。〝音楽〟と〝お笑い〟を融合させた「オトネタ」を提唱、各地で精力的にライブを行う。俳優としては平成24年公開の映画「苦役列車」で第55回ブルーリボン賞新人賞受賞。大河ドラマ「おんな城主 直虎」などテレビドラマ出演も多数。著書に『越境芸人 増補版』『決定版 一億総ツッコミ時代』など。

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