書評

『昭和の大戦とあの東京裁判』平川祐弘著 GHQ言論統制 呪縛問う

戦後日本の言論の自由はどこまでだったかと問うて、著者は昭和20年8月15日から4週間しかなかったという。自由な発言として最後のものとなったのは、鳩山一郎が9月15日付の朝日新聞で述べた談話だと指摘する。原爆の使用、無辜(むこ)の国民殺傷は明らかな国際法違反であり戦争犯罪だと鳩山ははっきりと述べた。だがそれゆえに朝日新聞はGHQ(連合国軍総司令部)から2日間の発行停止を命じられ、以降、日本は厳しい言論統制に追い込まれていった。「日本人として思ったことを正直に述べた事は高くついた」と著者はいう。

GHQの言論統制は強力で巧妙な検閲を通じて、以降、深く社会に浸透していった。日本の戦争が自存自衛であり大東亜解放のためのものであったという大義は葬られ、連合国側の史観に置き換えられていった。日本は戦争自体に敗北したばかりではない。戦争の正邪を決する歴史観においても敗北を喫してしまったという。

しかし、問題とされるべきは、むしろその後である。講和条約により国際社会に復帰し、主権国家として再登場したその時点で、報道機関など日本の言説を担う者達(たち)が検閲の事実を不問に付し、逆にいつの間にやら連合国側の歴史観が自分の史観であるかのように主張し始め、この史観を日本人に「内面化」させる役割を担ってしまった。

本書は、東京裁判史観がいかにして形成され、いかなる経緯をもって日本人の精神を呪縛していったのか、このことを固有の比較文化学の「複眼的アプローチ」によって明らかにした、実に鮮やかで生気に満ちた著作である。複眼的アプローチを可能ならしめたのは著者の高い語学能力であるが、何よりも事実を事実として検証せねばやまない旺盛な探究心である。

人間存在の虚実を怜悧(れいり)に見据え、これを丹念に、時に諧謔(かいぎゃく)を込めて語る本書の筆致は老齢の著者とは思えないほどに若々しい。深刻なテーマを扱う著作でありながら、書措(お)く能(あた)わざるの魅力に富んでいる。「この国では擁護すべき基本的人権の中に故人の名誉も含まれる」という。著者からは、もっと聞き出したくなることがいっぱいあるではないか。(河出書房新社・2970円)

評・渡辺利夫(拓殖大顧問)

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