話の肖像画

谷垣禎一(29)党派の違い乗り越え前進を

(鴨志田拓海撮影)
(鴨志田拓海撮影)

《3月に77歳の誕生日を迎えた》

喜寿ですよね。連想することはいろいろありますけど、宮沢喜一元首相だったら「㐂寿」と書くんじゃないかな。宮沢さんはご自分の名前を書くときも、「喜一」を「㐂一」と書いていましたからね。77歳になった実感? そりゃ、ありますよ。以前はリハビリをするたびによくなっていく感じがしましたけど、このごろは体力が落ちて、年を取ったなと感じます。歩けたところで距離は何百メートルもないわけですから、七十幾歳の老人がそれっぽっちしか歩かなければ、衰えていくのは当たり前ですよね。所詮、私の年齢では限界があるんでしょう。

《30年以上に及んだ国会議員生活には心残りもある》

現役時代に何か「政治家としてこういうことをやった」というのを残せたらよかったんですけど、自分がやろうと思っていたことについては十分にできたとはいえません。日本経済を牽引(けんいん)する成長のもとを見いだそう、種をまこうと考え、自ら希望して(平成9年に)科学技術庁長官になりましたが、その後、不良債権の処理や金融機関の整理などに振り回され、やろうと思っていたこととは全然違う方向に進んでしまいました。それは今でも残念に思っています。

科技庁長官のころに考えていたことの一つは、バイオテクノロジーやナノテクノロジーをもっと伸ばす必要があるということです。しかし今日日になってみても、例えば新型コロナウイルスの国産ワクチンがなかなか出てこなかったのをみると、あのとき考えたことをその後も追求して政治が少しでもバックアップできていたら、と思います。

最近思い出すのは、新人議員のころに福田赳夫元首相から聞いた話です。日本を含む各国は1929(昭和4)年の世界恐慌を協調して乗り越えることに失敗した。その結果が先の大戦であり、われわれの敗戦であると福田さんは言っていました。新型コロナによる傷の克服も、国際協調がカギになるだろうと私は考えていました。

しかし、ロシアがウクライナを侵攻し、米中も対立を深める中で、そのしわ寄せがどこに出てくるのか、よっぽど注意しておかないといけない時期にきているように思います。それこそ、第三次世界大戦の導火線になっては困る。知恵を働かせないといけない難しい局面にきているのではないでしょうか。

《政界引退から約4年半。谷垣さんのもとには今も政界関係者らの面会依頼が絶えない》

現役の政治家や以前、役所で一緒になった人たちが時々、訪ねてきてくれるんです。私がかつてやっていたこととか、それを踏まえて今どうみているかとか、そういったことは聞かれたら答えるようにしています。ただ、今の政治のトピックスに関しては、あんまりOBが口を出すものじゃない。現役の人たちがやるべき仕事ですからね。

後輩議員には、党派が違っても敬意を表することのできるカウンターパートを得てほしいと思います。私にとって野田佳彦元首相がそうだったようにね。米国では民主党と共和党の対立が激化し、韓国でも肝心なときに保守と革新が対立しています。そういうのを見ていると、立場の違う相手を罵倒し誹謗(ひぼう)するだけじゃなくて、何か協力し合うこともないと、いざというときに国の選択を誤ることにもつながりかねないという気がするんです。もちろん、なあなあではいけないし、国対政治がいいとはいいませんが。

それと、政治家を志す人が出てきてくれなくてはね。揶揄(やゆ)や批判の多い仕事ですが、それほどレベルの低いことはしていないと私は思います。志を持った人が選挙の洗礼を受け、有権者の声を聴きながら政治に参加してくれることを期待しています。(聞き手 豊田真由美)

 =明日から1カ月間、特別企画「拳闘の島 沖縄復帰50年」

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