話の肖像画

谷垣禎一(26)政界引退、2年3カ月ぶり公の場

安倍晋三元首相との面会を終え、記者団の質問に答える =平成30年10月、首相官邸
安倍晋三元首相との面会を終え、記者団の質問に答える =平成30年10月、首相官邸

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《平成29年9月、次期衆院選に立候補せず、政界を引退するとのコメントを発表した。当時の安倍晋三首相が衆院を解散したのは、その3日後だった》


当時はまだ初台リハビリテーション病院(東京都渋谷区)に入院中でしたが、どうも選挙が近いということになって進退について考え、引退を決断しました。出馬すれば当選はできるかもしれない。だけど、この体でできることには限界があります。今までやってきたことと、これからできることとの落差が激しすぎると思いました。まだ50歳ぐらいだったら、障害者福祉のために国会議員を続ける選択肢もあったかもしれませんが、年も年ですしね(当時は72歳)。


《リハビリに取り組む中で、日常生活においてもいくつもの落差を感じた》


けがをしてから血圧が不安定になり、立ち上がると血圧がすうっと下がって意識が遠のくことが長い間続きました。ちょっと座っているだけでも血圧が80ぐらいになってしまうので、座って食事ができるようになるまでだいぶ時間がかかりましたね。箸も重たく感じられ、なかなか上げられませんでした。

味覚にも変化がありました。以前は相当辛い物を好んで食べていたんですが、入院してしばらく辛い物を食べないでいたら、病院で食べる普通のカレーライスがとても辛く感じられました。納涼会で一本だけ出された小さな缶ビールも「ビールってこんなに刺激の強い飲み物だったかな」というぐらい、とにかく刺激が強くて。以前は水のごとく飲み干していたけど、飲酒初心者に立ち返りましたね。


《数々の「落差」を体感し、自身が置かれている状況を少しずつ把握していった谷垣さん。努力の方向性を見いだすまでに多くの時間を要した》


健常者のころの自分についてはある程度わかりますが、障害を負った自分についてはわからないことが多いんです。今の自分の能力で何ができるのか。生活の質を改善していくためにどんな努力をすればいいのか。どこまで苦しさに耐えられるのか。そういったことをつかむまでが相当大変なんですね。それが、われわれ障害者にとっての問題点なんです。

また、状態は日々違います。例えば、春先に「だいぶ体が軽くなってきましたね」とトレーナーに言われたとしても、成果の表れとはかぎらないんですね。だいたい暖かい季節には体が軽くなり、寒い季節には重くなるんです。そういうことも、1年目にはなかなかわからないんですよ。2年目、3年目と繰り返してわかってくるんです。

目標は、他人から与えられるより自分でつくるほうがいい。生活保護や介護保険などの「公助」の仕組みがいくら整っていても、まずは生きていく目標を自分で抱けなかったら、公助もへったくれもないと思います。だけど、実は何を目標にしたらいいか、なかなかわからないんですよ。「自助」というと簡単だけど、自分がどんな目標を立てて、どんな努力をしたいのか、障害を負った人が自分なりに答えを探せる体制づくりが必要ではないかと思います。


《29年末、約1年5カ月におよぶ入院生活を終えて退院。30年10月には安倍さんと首相官邸で面会し、2年3カ月ぶりに公の場に姿を見せた》


人前に出られるようになったら、まずはともあれ、安倍さんにおわびしなければと考えていました。幹事長としてある程度信用していただいていたのに、私が不注意でけがをして、安倍さんは相当気をもまれたと思います。「谷垣は俺に幹事長続投を約束してくれたはずだ」という気持ちがおありだったに違いありません。大島理森前衆院議長にも議長公邸で会い、「これからも気を付けて」と声をかけてもらいました。(聞き手 豊田真由美)

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