選手として1軍でプレーした経験は皆無ながら、66歳までプロ野球界で働き、いくつもの球団で貢献した男がいる。1953年生まれの同学年で中日で同期入団だった福田功だ。
強肩の捕手としてプロ入りしたが、肩を痛めて82年に29歳の若さで現役引退。中日球団のマネジャーを務めていたが、90年に監督だった星野仙一さんに請われて2軍監督となり、ファーム日本一にも輝いた。その後もコーチとして数々の選手を育成し、横浜(現DeNA)ではヘッドコーチも務めた。2008年には北京五輪日本代表のスコアラーを担当。阪神や楽天ではフロントに入って主に編成部門に携わるなど、さまざまな役割を通して球団運営に尽力した。
ユニホーム組、背広組それぞれの立場で、長い間にわたって力を発揮できたのは、優れた能力や適性があった証拠。星野さんに人柄を買われていたことも大きかったはずだ。
福田は星野さんにも思ったことを率直に意見することのできるタイプ。それでも、トゲのある言い方をせず上手に伝えることができるから、星野さんも耳が痛いことを言われてもカッとしない。選手出身でそれができる存在は貴重で、参謀役として適任だったのだろう。
プロ野球選手は、腕に覚えがあれば、周りの人におもねるようなことをしないでも世渡りできる。しかし、世間の大半の仕事は、本人が自信満々でも、周りが認めて信用してくれない限り、活躍の場すら与えてもらえない。
福田は選手としては1軍でプレーすることはできなかったが、その分、引退後に各球団でいろんな立場での仕事を経験し、学ぶことが多かったという。目立った活躍ができないままユニホームを脱ぐ人たちの中には、福田のように指導者やフロントとして活躍する人材が埋もれている。
プロ野球界の現状は、まだまだ現役時代に残した実績がものをいう世界だ。選手として名をはせた人物が監督を務めるのも慣例化している。しかし、米大リーグや海外サッカーなどでは決して一流選手ではなかった人物が監督として成功している例が数多くみられる。日本でも、実績にとらわれない人材活用が盛んになってこないだろうか。(野球評論家)