「土下座会見」2時間半 収益目当て出航は否定

会見後再び土下座する、知床遊覧船の桂田精一社長=27日午後、北海道斜里町(鴨志田拓海撮影)
会見後再び土下座する、知床遊覧船の桂田精一社長=27日午後、北海道斜里町(鴨志田拓海撮影)

なぜ悲劇は起きたのか-。北海道・知床半島沖で起きた観光船「KAZU Ⅰ(カズ・ワン)」の遭難事故から5日目の27日、初めて公の場に姿を見せた運航会社「知床遊覧船」(斜里(しゃり)町)の桂田精一社長。記者会見は長時間にわたったが、説明は要領を得ず、曖昧な回答に終始した。言いよどんだり、沈黙したりする場面も多かった。

「この度はお騒がせしまして大変申し訳ありませんでした」

午後4時50分ごろ、町内のホテルで始まった記者会見。桂田社長はマスクに黒のスーツ姿でうつむき加減に会場に入り、冒頭約10秒間ずつ、2回にわたって土下座した。行方不明者の家族や遺族への思いを問われると、「謝罪しても謝罪のしようがございません」と涙ながらに語った。

桂田社長は24日と25日の2度、家族らへの説明会で謝罪したものの、その後の説明会は全て不参加だった。記者会見など公の場での説明が5日目となった理由について、「被害者家族の方々の対応と救助活動を第一に考えてはいたが、私一人の力ではうまく対応できなかった」と弁明した。

会見では、荒天が予想された中、なぜカズ・ワンが出航したかについて質問が相次いだが、桂田社長は冒頭から曖昧な回答を繰り返した。

事故当日、強風・波浪注意報が出ていたことは「知っていた」と認めた上で、ウトロ港の波が穏やかだったことから出航できると判断したという。他の漁船や観光船は出航していなかったが、「天気予報を見ても問題なかった。知床まで来てくれたお客様に納得する方法をとっていた」などと理由を並べた。

桂田社長は北海道網走市の高校を卒業後、茨城県内で陶芸を学び、故郷の斜里町に戻った。親族から引き継いだ宿泊施設などを経営し、平成28年に「知床遊覧船」の取締役に就任。その後社長となった。元従業員は「海については素人同然。波が荒くて観光船の出航を自重すると、『なぜいかないんだ』と怒ることもあった」と話す。

別の元従業員によると、桂田社長はコロナ禍前にも民宿などの事業を拡大。コロナ禍で業績が落ち、借金を重ねていたとみられるという。事故当日は今シーズンの運航初日で、他の観光船会社よりも1週間先に営業を開始していた。

会見では出航を強要したことがあるかも問われたが、「記憶にない」と否定。「収益目的で出航させたのでは」との質問にも、「それはない」とした。

同社のずさんな安全管理体制も明らかになった。カズ・ワンと連絡を取り合うための無線用アンテナの故障は「事故当日に知り、すぐに修理を依頼した」としつつ、「無線が故障しても隣接する他の運航会社の無線のやり取りも可能で、出航を停止するには至らなかった」と釈明。別の通信手段である衛星携帯電話については、「故障中で修理に出していた」。

数年前には従業員を一斉に解雇しており、残ったスタッフの経験不足を指摘されると、「(新たに)雇い入れた2人はみなさんベテラン。教育を含めてお願いしていた」と説明した。

事故を起こし、行方不明となっている豊田徳幸船長については、甲板員で採用後、他のベテラン船長から「センスがある」と評価されたため、船長に昇格させたという。アンテナの故障を見落としていた理由について「船長に任せているのが多かった」と説明する一方、「責任を押し付けているということではなく、頼りすぎていた」と話した。

約2時間半に及んだ会見。桂田社長は最後に再び土下座し会場を後にした。

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