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谷垣禎一(24)自転車事故…「目」で辞意伝達

自転車事故の2日前には、保守分裂となった東京都知事選の応援に入っていた(右端が本人)=平成28年7月14日
自転車事故の2日前には、保守分裂となった東京都知事選の応援に入っていた(右端が本人)=平成28年7月14日

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《平成28年7月14日、東京都知事選が告示された。自民党の衆院議員でありながら党の了解を得ずに出馬表明した小池百合子元防衛相と、自民、公明両党などから推薦を受ける増田寛也元総務相が立候補し、17年ぶりの保守分裂選挙となった。小池さんは立候補の届け出に伴い、同日付で衆院議員を失職。谷垣さんら与党幹部は増田さんの応援に入った》


小池さんは出馬表明の前から、どうも知事選に出てしまいそうな雰囲気がありました。このまま出させてはいけないということで、当時の茂木敏充選対委員長に「一緒に説得に当たってください」と言われ、小池さんに出ないよう迫ったこともありました。だけど、彼女はどうしても「出ない」とは言わなかった。そして実際に出馬してしまったんですね。


《16日朝、気分転換に趣味のサイクリングに出かけた。この日は土曜日。告示後初めての週末だった。普段は走行に集中していたが、終盤、皇居周辺で知事選のことが頭をよぎった》


あの日はどこをどう走ったのか、よく覚えていませんが、最後に皇居前に出ました。乗っていたのは、プロの選手なら時速80キロぐらい出せる自転車。でも、私は若くもないし技術者でもないので、50キロ以上は出さないようにしていました。皇居周辺では、30キロ弱で走っていたんじゃないでしょうか。

自転車に乗るときは考え事をしてはいけません。集中しないと危ないのです。それなのに、あの日は考え事をしてしまったんですね。後から考えると、桜田門の近くにある段差からドンと落っこちたのだと思います。けがをした瞬間のことは全然覚えていません。

落車した後、とにかくまず座ろうと思ったんだけど、自分では動けないことに気づきました。そのとき、ジョギングをしていた女性に「動かないで! 私は医療関係者です」と止められた記憶が、かすかに残っています。選挙期間中に自転車に乗ってけがをするなんて、全く、不徳の致すところです。


《次に気が付いたときには、都内の病院の集中治療室で横たわっていた。頸髄(けいずい)を損傷し、思うように体を動かすことができない。一時は気管切開をしていたため、会話も難しかった》


集中治療室には1カ月半ぐらいいました。結構な大けがですよね。最初は呼吸のために、のどに穴をあけてパイプで空気を通していました。そうすると声を出せないので、意思疎通するのに非常に不便に感じました。体を動かせないばかりか、口頭で指示を出すことさえできないのですから、とても仕事ができる状況ではありませんでした。


《8月3日には内閣改造・党役員人事を控え、当時の安倍晋三首相(党総裁)から幹事長を続投させる意向を示されていた。安倍さんは、ときに持論を封印してでも党内をまとめ上げる谷垣さんに全幅の信頼を寄せていた。事故後も、谷垣さんと面会した上で続投が可能かどうか見極めようとしていた》


とにかく安倍さんに、続投の要請をお受けできる状況ではないと伝えなければいけない。秘書でもあった弟に、私の顔の前で五十音表を持ってもらい、文字を目で追って指示を出しました。正確な内容は覚えていませんが、「すぐに官邸に連絡して辞めさせていただくように」という趣旨のことを伝えたと思います。

面会は固辞しました。「これじゃだめだ」と思ってもらう効果はあるかもしれませんが、とても対応できる状況ではなかったのです。


《谷垣さんからのメッセージを受け取った安倍さんは、やむなく方針転換した。8月3日、谷垣さんの後任に就いたのは、総務会長だった二階俊博元幹事長だった》(聞き手 豊田真由美)

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