大阪万博が開かれた昭和45年、加藤登紀子が歌って大ヒットし、今も歌い継がれている「知床旅情」は、名優・森繁久彌が、生みの親である。「加藤版」が世に出る10年前に映画「地の涯(はて)に生きるもの」の撮影で長期滞在し、世話になった知床の人々への感謝を込めてつくったのだ。
▼それから62年の歳月を経ても知床は、「地の涯」のままだった。23日、「沈みかかっている。救助してほしい」という、知床半島沿岸を航行中の観光船からのSOSを海上保安本部が受けて、ヘリが現場海域に到着するまで3時間以上かかった。
▼知床半島を含む道東地域は「エアレスキューの空白地帯」と呼ばれ、同本部の釧路基地から現場は、160キロも離れていたからだ。海上救難用ヘリを運用できる自衛隊の基地も近くにない。