西遊記の三蔵法師 般若心経の翻訳者だった

鳥取県立博物館で開催中の「三蔵法師が伝えたもの」の展示=鳥取市
鳥取県立博物館で開催中の「三蔵法師が伝えたもの」の展示=鳥取市

「西遊記」の主人公・三蔵法師(玄奘(げんじょう)三蔵)は苦難の末に天竺(てんじく)(インド)から経典を持ち帰った中国の僧として知られるが、その「教え」が現代日本に伝承されていることは意外に知られていない。玄奘が持ち帰った経典「大般若(だいはんにゃ)経」や、玄奘が描かれた仏画「釈迦十六善神像(ぜんじんぞう)」を使った法会(ほうえ)「大般若会」は現在も正月などに各地で行われる。鳥取と但馬(兵庫県北部)に伝播(でんぱ)した玄奘の「息吹」を掘り起こした展覧会が鳥取市の県立博物館で開かれ、1400年の時空を超えた教えの広がりが注目を集めている。

大旅行17年半、翻訳20年

「三蔵法師は求法の旅行家であると同時に、偉大な翻訳家だった」

同館主幹学芸員の福代(ふくしろ)宏さんはこう語り、天竺への冒険に比べて知られることの少ない経典翻訳の偉業を強調した。

中国・唐の時代、玄奘三蔵(602~664年)は都の長安からインドまで旅をし、出発から17年半かけて大般若経など657部におよぶ膨大な経典を中国に持ち帰った。そして、サンスクリット語で書かれたそれらの経典を亡くなる直前まで20年近く漢訳し続けた。現代の日本で、写経されたり法要などで唱えられたりする「般若心経」は大般若経の神髄をまとめたもので、日常に溶け込んだ玄奘の遺産だ。

三蔵法師が孫悟空(そんごくう)と猪八戒(ちょはっかい)、沙悟浄(さごじょう)を供に従え天竺を目指して旅をする物語「西遊記」は、玄奘の取経の旅をもとに16世紀に明(中国)で成立したとされ、日本でも何度も映画やテレビドラマ化されている。供の中で人気が高いのは孫悟空だが、玄奘ともっとも関係が深いのは沙悟浄。砂漠で息絶えようとしていた玄奘を救った守護神「深沙大将(じんじゃだいしょう)」がモデルと考えられている。

薬師寺所蔵の「玄奘三蔵取経図」。玄奘三蔵とともに深沙大将(右)が描かれている(鳥取県立博物館提供)
薬師寺所蔵の「玄奘三蔵取経図」。玄奘三蔵とともに深沙大将(右)が描かれている(鳥取県立博物館提供)

仏画「釈迦十六善神像」には釈迦如来と普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊や十二神将、四天王とともに、玄奘三蔵と深沙大将が描かれる。大般若会はこの仏画を本尊として行われる儀式で、江戸から明治初年にかけて版画で描かれるほどに普及した。当初は大般若経を唱え鎮護国家を祈願したが、時代を経ると五穀豊穣(ごこくほうじょう)、無病息災など現世利益を目的に行われるようになり、天台宗や真言宗、禅宗などの寺院で現在も行われている。

仏画に描かれた玄奘と深沙大将

さかのぼると、玄奘の漢訳からわずか40年ほどの大宝3(703)年には薬師寺など奈良の四大寺で大般若経が読誦(どくじゅ)され、その約30年後には宮中などで大般若経の経典600部の一部を読んですべて読んだことにする「転読」が行われたという。当時の仏教は現代の思想や哲学ともされ、大般若経は当時最新の学説だったのかもしれない。

釈迦十六善神像が制作されるようになったのは平安時代末期で、今回の展覧会では、県内を中心に中世にさかのぼる同像13点を展示。福代さんは「玄奘と深沙大将が描かれたのは大般若経を中国にもたらしたことへの敬意だろう」と話した。

玄奘は法相宗の鼻(び)(始)祖とされる。同宗は慈恩大師が宗派を大成した宗祖とされ、玄奘は宗派を開いたという位置づけだ。日本へは入唐僧の道昭(629~700年)が最初に伝え、奈良から平安時代にかけての8~9世紀、南都六宗の一つとして隆盛を極めた。今は奈良の薬師寺と興福寺が大本山として法灯を守っている。

鳥取の山間地に法相宗寺院

玄奘の死から150年ほどたった平安時代初期、鳥取の山中に法相宗の寺院があった。鳥取県南部町に法相六祖の一人とされる玄賓(げんぴん)(734~818年)が創建した「阿弥陀寺」がそれだ。怨霊に苦しんでいた桓武天皇を治療し大僧都(だいそうず)に任じられた高僧だが、山林修行のため伯耆(鳥取県中西部)や備中(岡山県西部)に隠遁(いんとん)した。阿弥陀寺はその後廃寺となったが、同町の白山神社境内にあったとされる。福代さんによると、「この時代、地方にあった法相宗の寺は阿弥陀寺だけだったのではないか。この地に創建されたのは、玄賓がいたからというしかない」という。

重要文化財の木造聖観音立像(帝釈寺蔵・鳥取県立博物館提供)
重要文化財の木造聖観音立像(帝釈寺蔵・鳥取県立博物館提供)

法相宗を最初に日本に伝えた道昭は、全国を行脚して仏教を広めるとともに土木工事などを行った行基の師だが、道昭自身も諸国を行脚し橋を造るなどの社会事業を行ったとされる。兵庫県香美町の帝釈寺には、道昭作と伝わる国の重要文化財「木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)」がある。制作は平安時代と判明しており実際には道昭作ではないが、伝承の存在自体がこの土地と道昭との何らかのつながりを物語る。

「大般若経、大般若会、釈迦十六善神像のいずれも、鳥取独自の特徴や伝わり方の特異性などは確認できない」と福代さんはいう。般若心経をはじめとした玄奘三蔵の教えは地域を超えて日本の隅々まで浸透しており、日本の仏教に大きな足跡を残している。(松田則章)

鳥取県立博物館の「三蔵法師が伝えたもの~奈良・薬師寺の名品と鳥取・但馬のほとけさま」は5月15日まで。

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