日曜に書く

見えない壁も越えられる 論説委員・木村さやか

「次はどこ?」「10時、ちょい遠め、ガバ(っと持てる)!」。指示を頼りにホールド(突起物)を探り、つかむ。目が見えない人とは到底思えないような挑戦的で見事なムーブ(動き)、諦めずに挑み続ける姿に目を奪われ、気付けばあっという間に3時間が過ぎていた。

NPO法人「モンキーマジック」(東京都)が首都圏を中心に行っている、障害のある人とない人がともにスポーツクライミングを楽しむ交流型イベント。今年で10年を数え、欠かさず参加する人もいる。子供から中高年と幅広い年齢層の、初心者からトップクライマーまでさまざまなレベルの人が「初めまして」とあいさつを交わし、一緒に登る。

改めて思った。クライミングは、やっぱり面白い。

どんな人でも

代表の小林幸一郎さん(54)は、パラクライミングの国内第一人者。世界選手権で5度の優勝経験を持つ現役トップクライマーだ。

高校生でクライミングを始めたが、28歳のときに難病の網膜色素変性症と診断。「将来は失明する」と宣告された。20年かけて視力はゆっくり低下したが、岩を攀(よ)じる感覚は低下しなかった。「その時できるクライミングを、探りながら楽しんできた」

クライミングは、より高難度のルート攻略を目指すという競技性の一方、それぞれが目標に向かって取り組む自己達成型のスポーツでもある。前回出せなかった一手が出せた、足を置けた―。そんなささやかな喜びは、初めて補助輪なしの自転車に乗れたときの感覚に似ている。年を重ねて体力や筋力が落ちても、自分の小さな成長を実感でき、飽きることがない。

視力が低下する中で小林さんが確信したのは、クライミングは障害のある人もない人も、どんな人でも楽しめるスポーツだということだった。そこで、障害者クライミングの普及を通じて共生社会の実現を目指そうと17年前、「モンキーマジック」を設立。公益事業を組織的に継続させ、情報発信することにこだわってきた。当初は「そんな危ないことを」と批判もされたが、「見えない壁だって、越えられる」とのコンセプト通りに、越えてきた。

考えるのは登る人

4月上旬。東京・高田馬場駅近くのクライミングジムで行われた交流型イベントには、スタッフ8人を含む24人が参加。うち6人は視覚、1人は上肢に、2人はそのほかの障害がある人だった。

視覚障害のある人には、冒頭のように使えるホールドを方向、距離、形の順に教える。起点は最後に持ったホールド。方向は時計の針で表現する。

はっとさせられたことがある。小林さんは「登り方は教えないで」と強調した。「『右手から2時(にある)』はマル、『右手を2時に(出して)』はダメ。どう登るかを考えるのは、登る人なんです」

クライミングで最も価値が高い「オンサイト」は、情報のない課題を初回で完登すること。登り方を最初から教えてしまうと、挑戦の機会を奪うことになる。「クライミングをともに楽しむ」と、「クライミングさせてあげる」は、根本的に違う。共生社会につながるのは、前者だ。

2025年万博へ

今年、モンキーマジックは世界でスポーツを通じて若者の生活を向上させたコミュニティープログラムに贈られる「ローレウス・スポーツ・フォー・グッド賞」にノミネートされた。健常者と障害者が「助ける・助けられる」の関係ではなく、同じ仲間として関わり、理解しあう機会を提供し続けており、多様性を認めあえる、より成熟したユニバーサルな社会の実現につながる―と評価されたのだ。

大阪・関西万博が開催される2025年、モンキーマジックは設立20年を迎える。これまで東京のほか大阪など16都道府県で開催してきた交流型イベントを、今年はさらに5府県で開催予定。25年までに残る26県でも開催し、万博を通じてダイバーシティ社会が実現する姿を世界に発信するのが、今の目標だ。

記者がその活動を知ったのは10年以上前。大阪のクライミングジムで見つけたカッコいいTシャツがきっかけだ。しびれるスローガンが添えられていた。

「NO SIGHT BUT ON SIGHT!」(見えなくたって、オンサイトできるぜ!)(きむら さやか)

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