ザ・インタビュー

拉致への悲しみと怒り 作家・月村了衛さん著『脱北航路』

「人間をより多面的に描けるようになった」と手ごたえを語る月村了衛さん(春名中撮影)
「人間をより多面的に描けるようになった」と手ごたえを語る月村了衛さん(春名中撮影)

北朝鮮による拉致被害者家族会が3月、結成から25年を迎えた。5人の被害者の帰国が実現した平成14年以来、一人の帰国もかなっていない。そんな現実を前に、最愛の人を奪われた家族の闘いは続く。骨太なエンターテインメント小説を量産する月村了衛さんの新しい長編には、日本人の拉致被害女性が出てくる。

「作家として今この時代にやるべきことは? そう考えた末に出てきたアイデア。ただ、拉致被害者の方々の苦しみを題材にしていいのか、という葛藤はずっとありました」と明かす。

「私にも娘がいます。その娘が突然いなくなり、40年以上も帰ってこなかったら、とても耐えられない。なぜこんな悲劇が起こったのか。拉致問題を調べ直して自分の無知と無関心を痛感したんです。少しでも拉致被害に関心を持つ人が出てくるのなら、この小説はきっと書かれる価値があるはずだと」

『脱北航路』月村了衛著(幻冬舎・1870円)
『脱北航路』月村了衛著(幻冬舎・1870円)

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北朝鮮が国の威信をかけて行う陸海空軍合同の大規模演習。弟の不可解な死をきっかけに祖国に絶望した桂東月(ケドンウォル)大佐はこの機会に乗じて、自らが艦長を務める潜水艦で日本への亡命を決行する。同じように、国と軍の腐敗を憎んでいる海軍の仲間とともに。彼らには勝算があった。艦内には45年前、中学1年生のときに島根県から北朝鮮工作員に拉致された日本人女性、広野珠代(たまよ)さんを乗せていたからだ。日本の領海に入ったら、珠代さんが同乗している旨を無線で広く伝える。拉致被害者の象徴と位置付けられている珠代さんを救うためなら、日本政府は動く-。そんな期待に基づいた計画だった。

亡命を力ずくで阻止しようとする朝鮮人民軍の対潜ヘリや魚雷艇との戦闘は、潜水艦という密閉空間が舞台だけに緊迫感がある。「北朝鮮や潜水艦に関する描写では複数の専門家の全面協力を仰ぎました。でも表現の熱がこもるのは、人間のあり方であり人生。徹底して現場の人間の視点から描きたかった」

その手法は、東月らの脱北行と並行して描かれる日本の人々の群像でも効果を生んでいる。45年前、不審な男を見た、と子供たちに聞かされながらも、浜辺へ確認に行かなかった元警察官の痛苦、珠代さんを拉致したとおぼしき不審船を見逃してしまった老漁師や海上保安官の負い目…。昭和55年、サンケイ新聞(当時)が1面トップで報じた拉致問題を他社が後追いしなかった事実も書き込んだ。前面にせり上がってくるのは、後悔を抱えながら45年を過ごしてきた男たちが、自らの尊厳をかけて人生を生き直そうとする物語だ。その先に国とは一体何のためにあるのか、という重い問いがある。珠代さんが無線で発する〈私は日本を信じています。早く生まれた国に帰りたい。なのに……どうして助けに来てくれないんですか〉という叫びに象徴されるように。

「小説を書く中で一番重視するのは『これを表現しないと苦しい』という内面の衝動なんですよね。過去の日本人がさまざまな問題を先送りにしてきた結果、今がどれだけひどいことになっているか。それを改めて問いたいし、そんな政治を選んできた自分も罪を免れない。悲しみ、怒りが原動力になっているんです」

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犯罪史に残る詐欺事件「豊田商事事件」をモチーフにした山田風太郎賞受賞作『欺す衆生』など、近年は昭和史を扱った作品が多い。「書けば書くほどに人物の陰影は深まる。その影の中に人間のリアリティーは潜んでいる」と話す。

「本が評価されれば確かにうれしいけれど、それで自分の孤独や虚無感が癒やされるわけではない。書きながら自分が考えもしなかった発見が常にある。作家の幸せって、苦しみながら書いている瞬間にしかないんですよね」

3つのQ

Q座右の書は?

中里介山の『日本武術神妙記』。剣豪の逸話や流派などについて書いた一冊で、さまざまな人生模様が面白い

Q日々の執筆時間は?

深夜の12時ごろから午前4時ごろにかけて。1日机の前に座っているけれど、集中力が高まるまでに時間がかかるんです

Q物語のアイデアが浮かぶときは?

風呂に入っているとき。考えに考えた末、ふっと気持ちが切り換わった瞬間に浮かんでくるものなのかもしれないですね

つきむら・りょうえ 昭和38年、大阪府生まれ。早稲田大卒。平成22年に『機龍警察』で作家デビュー。25年に『機龍警察 暗黒市場』で吉川英治文学新人賞、27年に『コルトM1851残月』で大藪春彦賞、令和元年に『欺す衆生』で山田風太郎賞。ほかの著書に『土漠の花』など。

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