ロシア軍拠点の村 キーウ郊外の深い森に無数の地下壕

ロシア軍が滞在していたホストメリ郊外の森林地帯。撤退した際に地雷を埋設した可能性があるという。塹壕が掘られていた=22日、ウクライナ(桐原正道撮影)
ロシア軍が滞在していたホストメリ郊外の森林地帯。撤退した際に地雷を埋設した可能性があるという。塹壕が掘られていた=22日、ウクライナ(桐原正道撮影)

ロシア軍はブチャなどキーウ(キエフ)郊外各地への進軍に先立ち、ブチャの北西約20キロのズドビジェフカ村周辺に集結して拠点を築いていた。将兵らは深い針葉樹の森に掘られた無数の地下壕で寝泊まりしていたという。

平屋の住宅が立ち並ぶ静かな村が一変したのは2月25日、侵攻開始の翌日だった。村の畜産場と周辺の広大な敷地に、戦車など実に約1500もの軍用車両が集まってきた。

ロシア軍が滞在していたホストメリ郊外の森林地帯。撤退した際に地雷を埋設した可能性があるという。塹壕が掘られていた=22日、ウクライナ(桐原正道撮影)
ロシア軍が滞在していたホストメリ郊外の森林地帯。撤退した際に地雷を埋設した可能性があるという。塹壕が掘られていた=22日、ウクライナ(桐原正道撮影)

「ベラルーシから攻め込んだ占領者はまず、国境から100キロほどのこの地に集まった。態勢を整え、それからブチャやホストメリ、ボロディアンカなどに向かったようだ」。女性住民のナタリヤさん(34)が語った。一帯には、ウクライナ軍の反撃で破壊された軍用車両がいくつも残されていた。

男性住民のビターリさん(28)に森を案内してもらった。「ここからが占領者たちの(地下)都市だよ」。彼が指さした先には地下壕を掘ってできた土砂の小山が続いていた。地下壕の周辺には、露軍の配給食料が入っていた緑色の紙袋やごみが散乱していた。

露軍はこの村で「人道支援物資」と称して飲食物を配り、後の宣伝のためか、その模様を撮影していた。「ウクライナの兄弟、姉妹たち」に向けた呼びかけのビラも配った。ビラは、ロシア人とウクライナ人が「常にともにあった」とし、「われわれはウクライナの民衆でなく、民族主義者と戦うために来た」などと書かれていた。(ズドビジェフカ 遠藤良介)

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