大阪府柏原市にある老舗柔道着メーカー「九櫻(くざくら)」が柔道着の素材、刺子織(さしこおり)を使ったアパレル・雑貨品作りに挑戦している。創業100年を超える業界トップブランドとして、元五輪メダリストの柔道家らに愛用されてきたが、競技人口の減少など取り巻く環境は厳しい。同社は柔道着で培った技術を生かし、柔道場外での新たな「勝負」に活路を見いだそうとしている。
柔道着素材でアパレル
綿糸を織機にセットするとガシャーン、ガシャーンと大きな音を立てながら、布に糸が模様となって編み込まれていく。九櫻の今町工場(柏原市)では、柔道着を糸から布織りして縫製まで、一貫体制で手がけている。その工場内の一角に今年4月に新設されたのが同社繊維事業部のショールームだ。
並んでいるのは柔道着ではなく、パーカー、ベスト、Tシャツ、バッグなど。柔道着と同じ風合いの白いものから、黒、緑など色も形もさまざま。表面は柔道着と同じ、布に刺子と呼ばれるエンボス状に糸の縫い目を模様にして仕上げている。
これらはいずれも令和元年に立ち上げた新ブランド「九櫻刺子(くさくらさしこ)」の商品だ。黒Tシャツは1万5千円、黒パーカーは2万2500円と価格も高めだが、40代以上の男性を中心に「懐かしい」「格好いい」など注文が相次いでいるという。同社繊維事業部の桂恵美さんは「柔道経験者や、学生時代に九櫻の柔道着を着た世代の反響が大きい」と話す。
篠原信一さんも愛用
九櫻は河内木綿の生産が盛んだった柏原市で大正7年に柔剣道衣製造加工業として創業。平成30年10月、創業100年を機に「早川繊維工業」だった社名を、広く認知されている商品ブランド名の「九櫻」に変更した。
九櫻の柔道着は、2000年のシドニー五輪男子100キロ超級で銀メダルを獲得した篠原信一さんら一流選手に愛用されてきた。
国際大会で選手が使用するだけに、国際柔道連盟(IJF)の認定を持つ。国内だけで10社以上のメーカーがある中で、IJF認定を持つのは九櫻を含めて数社のみ。さらに一貫体制での製造は世界唯一で、その技術力は高く評価されている。
だが、現実は厳しい。新たな挑戦の背景には、業界全体の市場縮小がある。全日本柔道連盟によると、国内の競技人口は、平成16年に20万2千人だったが、令和元年には14万3千人と15年間で約29%減少した。少子化加速のほか、スポーツの多様化もあり学校用の需要が大幅に減少した。
「柔道着だけでは厳しくなるのは目に見えている。何か新しいことはできないか」と、危機感を抱いた三浦正彦社長。生き残りを賭けて始めたのが、アパレル・雑貨品への参入だった。
柔道着の加工ノウハウ
柔道着は強くつかんだり引っ張ったりするため分厚く、丈夫な半面、生地の加工や取り扱いが難しい。こうした中で特に工夫したのは、アパレル用に生地の厚みを感じさせず、柔らかい着心地に仕上げることだ。
柔道着は布2枚に糸を通して織り込むのに対し、アパレル用は布1枚に織り込む一重織に。また、柔道着の刺子織よりも刺子目の粗さを細かくし、1つの刺子織目の長さは柔道着の約8ミリに対し、約4ミリにした。
さらに、肌触りにも工夫を凝らした。刺子目の裏地には糸の突起が出るが、これを熟練の技術者が織機を微調整して突起を小さくした。特に男性柔道着は地肌に直接触れるため小さな突起でも肌に感じやすいが、柔道着の着心地を追求した技術が生かされている。
刺子織の生地は、糸を織り込んでいるため端がほつれやすい弱点があるが、端部分を折って巻き込みながら縫うなどして克服。刺子織の特性を知り尽くした柔道着のノウハウがあるからこそ実現できたという。
三浦社長は「次の100年に向けて、新しい柱にしていきたい」と、意欲を燃やしている。(大島直之)