話の肖像画

谷垣禎一(21)総裁選出馬を断念…不徳の極み

自民党総裁選で新総裁に選出された安倍晋三元首相(右端)に祝辞を述べる=平成24年9月
自民党総裁選で新総裁に選出された安倍晋三元首相(右端)に祝辞を述べる=平成24年9月

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《平成24年9月、再選を期していた自民党総裁選への出馬を断念する意向を表明した。当時の石原伸晃幹事長も意欲を示し、執行部の分裂を避けるため一本化調整を重ねたが、難航。政権奪還を目前にして、谷垣さんは首相を経験しないまま総裁任期を終える決断をした》


総裁選には当然、出るつもりでいました。普通の流れでいけば、そうでしょう。だけど、党執行部から何人も出るのはおかしい。悠々与党であるときなら「勝負しようぜ」でもいいのかもしれませんが、野党のときに一心同体ぐらいのつもりでやってきた人から「出る」と言われたわけですから、言われた瞬間に「これはもう私は辞めた方がいいな」と即断しました。「私は執行部の中も統一できないんだ。頼むに足らずと批判されているんだな」という思いでしたね。それでは党をまとめていけない。私の不徳の極みです。


《所属していた宏池会(現岸田派、当時は古賀派)の古賀誠元幹事長は石原さんの擁立に動き、自派から林芳正外相の出馬も認めた。谷垣さんに近い古賀派議員はこれに反発し、同派を脱退。新たに「有隣会」(谷垣グループ)を立ち上げ、谷垣さんを顧問に据えた》


古賀さんにしてみれば、私が古賀さんの顔を立てていないような感じをお持ちだったのかもしれません。私にも至らないところがあったのだと思います。一方、川崎二郎元厚生労働相ら私と一緒に動いてくれた人たちにとって、宏池会は居心地の悪い状況になっていました。彼らが自分たちの今後の足場について考えるのは自然なことだと思います。有隣会の旗揚げは、川崎さんか誰かから「つくるから」と申し渡されました。

ただ、私自身は総裁選への不出馬を決めたことで、自分の政治生活はだいたいおしまいだと考えていました。後輩を育てたり、政治力が残っているうちに地元に貢献したりすることはあっても、中央で仕事をする政治家として「わがこと」はこれで一応終わりだと思っていたのです。後に(新総裁に選出された)安倍晋三元首相に頼まれて幹事長になり、当時の考えとは違う道を歩んだわけですが…。


《有隣会は谷垣さんが29年に政界を引退した後も存続し、現在は共同で代表世話人を務める中谷元(げん)首相補佐官と遠藤利明選対委員長が運営の中心。谷垣さんの役職は特別顧問となった》


いまだに「谷垣グループ」なんて私の名前がついているのは変じゃないですか。「旧谷垣グループ」と言われていたはずが、このごろは「旧」も取れちゃって…。派閥を名乗っていないせいもあるかもしれないけど、何かもうちょっと、今の呼び名にしてくれよと思いますね。「有隣会」でもいいし、「中谷・遠藤グループ」でもいい。

そういうこともあって、有隣会の会合もたまには行ってもいいんですけど、あんまり頻繁に顔を出しちゃいけないなと思っているんです。世間からいつまでも「谷垣グループ」といわれてちゃいけない。私が取り仕切っているわけでは全然ないのに、一見、過去の人がいつまでも取り仕切っているようにみえる表記で花を持たせるようなことは避けるべきです。


《宏池会をめぐっては、源流を同じくする志公会(麻生派)と有隣会の2派1グループが結集する「大宏池会構想」が度々取り沙汰される。実現すれば、最大派閥の清和政策研究会(安倍派)と比肩する勢力となる。志公会を率いる麻生太郎副総裁は、この2大派閥による「疑似政権交代」が持論だ》


すぐに合併するかは別として、自民党の多様さや柔軟さを示すには必要なことではないでしょうか。野党がなかなかぴしっとしないのでね。タカとハトといってもいいかもしれない。異なる勢力が「振り子の論理」でやっていくことが必要だと思います。(聞き手 豊田真由美)

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