昭和49年シーズン、巨人は前半戦、苦戦が続いた。前年23勝の左のエース高橋一が開幕から9連敗。同じく前年、阪神との〝二番勝負〟で右手薬指を骨折した長嶋が負傷の影響で極度の不振。打率2割3分台で「3番」を外れ「1番」を打った。首位は阪神、2位中日。5ゲーム以上の差をつけられて巨人。
そんなある日「事件」が起こった。
◇7月9日 川崎球場
巨人 010 002 000 0=3
大洋 000 300 000 0=3
(巨)関本―小川 (洋)平松
(本)王⑳(平松)
二回、巨人は1点を先制しなお1死二塁のチャンスを迎えた。打者・河埜の初球、大洋の先発・平松の投球は内角高めへのけ反るようなボール。河埜はバットを引いたが避け切れず左ひじに当てて顔をしかめた。ところが平光球審の判定は「ファウル」。ボールはバットのグリップエンドにも当たり「コン」という音がしていたのだ。
一塁へ歩きかけていた河埜が「そんなバカな!」と、ヒジを見せながら球審に詰め寄る。牧野、須藤コーチも「当たったところを見てくれ!」と訴える。だが、受け付けられない。川上監督が出てきた。
「河埜があれだけ痛がっているんだ。見てやってくれ。他の審判にも聞いてくれ」。この要求もはねつけられた。その時だ。川上監督が平光球審の胸をグイッと押した。「退場!」コール。さらにつかみかかろうとする川上監督。押さえるコーチたち。球場は騒然となった。
川上にとってプロ生活34年で初めての退場処分。怒りは収まらない。治療のためベンチを出てきた河埜を呼び止め、そばにいたカメラマンに「この左ひじの写真を証拠として撮ってくれ。これで当たっていない? とんでもない話だ」と息巻いた。
ベンチで長嶋を中心に選手たちは円陣を組んだ。試合は引き分け。だが、この試合を機に巨人はよみがえった。球宴をはさみ7月末まで7勝1敗2分け。
もし負けていれば5連敗で大洋と入れ替わり4位に転落していた。まさしくペナントレースの分岐点、65試合目の大きな〝事件〟となった。選手たちはみなこう口にしたという。
「あれは監督がわれわれにハッパをかけたんだ」 (敬称略)