島を歩く 日本を見る

湖の離島、宝を次世代へつなぐ 沖島(滋賀県近江八幡市)

沖島の集落と奥津嶋神社。湖上を行き交う船人から「神の島」と崇拝されてきた
沖島の集落と奥津嶋神社。湖上を行き交う船人から「神の島」と崇拝されてきた

滋賀県の琵琶湖に位置する沖島は、日本で唯一の淡水湖にある有人島だ。周囲6・8キロと小さく、民家が〝ぎゅっ〟と密集し、路地は細く迷路のようになっている。港から小学校まで続くメインストリートのホンミチは、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選定されるほど、情緒的だ。沖島は琵琶湖における漁業で、漁獲水揚げ量の半分を担う漁師の島である。

奈良時代に、近江の国守であった藤原不比等(ふひと)が奥津嶋神社を建立し、その後、寺院も建立され、関係者が住んでいたと伝わる。人が本格的に定住したのは、保元・平治の乱(1156、1159年)で敗れた源氏の落ち武者7人が島に漂着して住み着いたのが始まりとされ、島の人たちの先祖にあたるという。

漁業が盛んになったのは、戦国時代以降だ。織田信長が浅井長政との戦いに沖島の武士を出陣させ、見事な活躍を果たした戦功に、琵琶湖の一里四方を専用漁場として与えた。

島出身で近江八幡市人生伝承塾講師の西居正吉さんは、「島に土地がないからと、先祖が田畑に代わる専用漁場を望んだおかげでわれわれは漁業ができた。戦後に新憲法が施行され、漁場が公用化したときも補償があって、貧しいときも助けられた。先祖に感謝している」と話す。

漁で獲(と)るのはニゴロブナやアユ、ワカサギ、スジエビなどで、かつては養殖真珠の母貝となるイケチョウガイの漁に沸いたこともあった。しかし、高度成長期の琵琶湖総合開発や外来種の増加などで固有種は激減。昭和45年をピークに漁獲量も減った。

湖島婦貴の会で島の女性たちが作る湖魚を使ったランチ
湖島婦貴の会で島の女性たちが作る湖魚を使ったランチ

そうした中で、平成15年に住民と行政が一体となって島の活性化策「沖島21世紀夢プラン」をまとめ、港に漁業協同組合の婦人部が「湖島婦貴(ことぶき)の会」を設立。湖魚のつくだ煮や弁当の販売を開始した。また、25年に離島振興法に基づき沖島が離島振興対策実施地域に指定されると、「沖島町離島振興推進協議会」が発足し、島のファンクラブの設立と沖島遊覧船の運航、沖島めしの販売をスタートさせた。

沖島地域おこし協力隊で島に移住した川瀬明日望(あすみ)さんは、「琵琶湖の魚を多国籍料理やアウトドアに組み込み、楽しみ方を多様化していきたい」と話す。

港のすぐ近くには、先人へ感謝をささげる漁村の碑と、魚介の供養碑が置かれていた。祖先から託された島の宝は、時代とともに変わりゆく湖の環境に適応しながら、次世代へと着実に受け継がれていくだろう。

■アクセス 近江八幡市の堀切港から定期船で。

■プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。

会員限定記事会員サービス詳細