机の引き出しに、二十数冊の古びた大学ノートがしまってある。母が亡くなったとき、棺に入れるつもりが、つい忘れてしまった。
母は、広島県の山あいの町で私生児として産まれた。幼い頃、実母の叔父に引き取られ育てられた。馬喰(ばくろう)を生業としていた叔父は家を空けることが多く、幼い母は飼い犬と一緒に、さみしさをこらえ、叔父の帰りを待ったという。
小学校もろくに行けなかったので、父と結婚した頃は、時計の見方もわからず、漢字もほとんど読めなかったらしい。
そんな母が、新聞の連載記事を大学ノートに書き写し始めたのは、私の高校進学の頃だったと思う。初めは父にフリガナをふってもらい、何度も声を出して読み、書き写していた。
亡くなる前日まで、40年も続けた。いつか母の読めない漢字は無くなっていた。
母が逝き10年。今も時折ノートを開いてみる。メモのような走り書きを見つけると、母に話しかけてみる。
「何かあったの?」と。
お世辞にも上手とは言えない、かなり癖のある懐かしい母の文字だが、ページをめくる度に私の心は満たされ、優しく包まれていく。
何度か処分も考えたが、この世にお暇する日まで引き出しにしまっておこう。疲れたときにはそっとページを開き、優しく頭をなでてもらおう。つぎは忘れず私の棺にいれてもらうよう、子供たちによーく頼んでおこう。
藤田治一(68) 大阪府忠岡町