突然泣く、けが言わぬ人…ウクライナ難民支えた日本人医師

避難してきたウクライナ人の子供に話しかける鈴記好博医師=ハンガリー・ベレグスラーニー(アムダ・TICO提供)
避難してきたウクライナ人の子供に話しかける鈴記好博医師=ハンガリー・ベレグスラーニー(アムダ・TICO提供)

ロシアが侵攻を続けるウクライナから避難した人を治療するため、隣国ハンガリーの避難所で、24時間体制で働く医療従事者がいる。国際医療ボランティア団体「AMDA(アムダ)」(岡山市)に登録する医師や看護師らだ。東京都の医師、鈴記好博さん(56)は平成23年の東日本大震災など災害地域でボランティアとして活動した経験を生かし、現地で2週間にわたって医療支援に従事。帰国前に産経新聞のオンライン取材に応じ、「難民の精神的ダメージは相当大きく、長期的な心のケアが必要だ」と訴えた。

オンライン取材に応じるアムダの鈴記好博医師
オンライン取材に応じるアムダの鈴記好博医師

鈴記さんは4月3日にハンガリーに入国。約2週間、国境近くの村・ベレグスラーニーの元学校の建物に設けられた避難所に滞在し、仮設診療所で、露軍による攻撃でけがをした人の手当てをしたり、体調不良の人の相談に乗ったりした。

避難所は、ウクライナ難民が次の目的地に行くまで半日から1泊ほど滞在する施設だ。アムダによると、3月には一時1日最大千人の人が戦禍を逃れて避難してきたが、4月には1日平均200人ほどに。ただ、露軍による東部への大規模攻撃が始まり、19日には1日約300人が逃げてくるなど、再び増加しつつあるという。

我慢するウクライナ人、子供にトラウマも

仮設診療所には1日十数人~数十人が訪れ、鈴記さんはハンガリーやオランダから駆けつけたボランティアの医師らと治療にあたった。治療を受けに来たのはほとんどが高齢者や女性、子供。「ウクライナ人は遠慮がちな人が多く、ぎりぎりまで我慢する。積極的にこちらから話しかけ、困ったことがないか気にかけた」という。

民間人の遺体が多数みつかったブチャから避難してきた高齢女性は、避難所で一晩を過ごしてスペインへ移動する直前、鈴記さんに「頭をけがしたから、消毒してほしい」と打ち明けた。それまでは帽子をかぶり、痛がるそぶりも見せなかったが、診察すると、頭部が陥没していた。

女性は「1カ月前、家が露軍の爆撃を受け、がれきが頭に当たった」と説明し、泣き出した。「どれだけ過酷な状況だったのだろうと胸が痛かった」と鈴記さんは振り返る。

また、首都キーウ(キエフ)から幼児と小学生高学年ぐらいの子供2人と避難してきた40代の母親は、鈴記さんに「露軍のロケット弾が目の前に飛んできた」と興奮状態で話し続けた。「下の子供は毎日泣き、上の子供は数日間、何も話さなくなった」とも説明。鈴記さんは「子供たちが負ったトラウマも相当なものだと思う」と話した。

気丈に振る舞う人たちも、実際には精神面に深い傷を受けている。アムダによると、突然泣き出す人や「眠れない」と話す人、頭痛を訴える人が多いという。

東日本大震災の経験生かし、診療所の外へ

そんなウクライナ人たちとコミュニケーションを図り、心にため込んだつらい気持ちを打ち明けてもらうため、鈴記さんは診療所ではなく、難民が滞在する避難所に寝袋を持ち込んで寝泊まりした。東日本大震災などの災害地域で活動した際に「医師に直接話すことを躊躇(ちゅうちょ)する人もいる」と感じた経験からだ。

避難所を運営するスタッフには「何でも手伝う」と伝え、掃除をしたり、無料でふるまうサンドイッチづくりなどの食事の準備に参加したりした。そうすることで避難してきた人たちと接触する時間を増やし、避難してきた子供の遊び相手や、お年寄りの話し相手にもなるようにしたという。

避難所で、運営スタッフと一緒にサンドイッチをつくる鈴記好博医師(左)=ハンガリー・ベレグスラーニー(アムダ・TICO提供)
避難所で、運営スタッフと一緒にサンドイッチをつくる鈴記好博医師(左)=ハンガリー・ベレグスラーニー(アムダ・TICO提供)

活動の合間、鈴記さんはウクライナとの国境付近に立った。見える範囲のウクライナはのどかな光景だったが、実際にはその向こうで戦争が続いている。「これは災害ではなく戦争なんだと思うと、やるせない気持ちになった。難民に対しては心のケアと、就職や教育などの生活支援が極めて重要となる。日本に帰っても何ができるか考えたい」(田中一毅)

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