話の肖像画

谷垣禎一(19)最愛の妻を亡くして

おしどり夫婦で知られていた
おしどり夫婦で知られていた

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《平成23年6月、約30年間連れ添った妻の佳子さんが、入院先の都内の病院で亡くなった。66歳だった。翌月、都内のホテルで営まれたお別れの会には、当時の菅(かん)直人首相ら政財界から約2千人が参列した》

家内が乳がんだとわかったのは、亡くなる5年ぐらい前だったかな。通院して抗がん剤治療を受けていました。私が自民党総裁になったころは、家内は何度か手術をした後で、あんまり具合がよくありませんでした。

容体が悪化して23年6月に入院すると、私は病院の隣のホテルに10日間ぐらい泊まり、できるだけそばにいられるようにしました。それでも、当時は国会対応などで忙しく、亡くなる1週間ぐらい前も、熊本に出張しなければなりませんでした。66歳という年齢は、亡くなるにはちょっと若いですよね。かわいそうでした。

お別れの会には、菅さんや岡田克也元副総理らも来てくれました。野党の党首が女房を亡くしたというので、当時の政権は気を使ってくださったと思います。いろいろと言葉もかけていただきました。

《愛妻家で知られた谷垣さん。夜は会食のはしごをする国会議員が少なくない中、谷垣さんは要職に就いてからも、佳子さんとの夕食を楽しみに帰宅することが多かった》

家内は料理上手だったんです。うまいレストランに連れていくと、さっと技を盗んで、そこの料理をまねしたようなのがすぐ家で出てきました。「家でおいしいものを食べようと思ったら、私においしいものを食べさせなきゃだめよ」というのが彼女の主張でした。手際もよくて、パパッと手早くできちゃう。本人も料理は好きだったんじゃないかな。有田焼などの磁器にはなかなかうるさくて、大して酒は飲まないのに「このぐい飲みはいい」なんて言うこともありました。

家族みんなで最後に外食をしたのは、亡くなった年の5月。世田谷区にあった「しらとり」というフレンチレストランに行きました。病状はだんだん悪くなっていたとはいえ、そのときは翌月に亡くなるとは思っていませんでした。どんな会話をしたか忘れてしまったけど、家内が「やっぱりしらとりさんって上手ねえ」と言ったのは思い出すなあ。

堅実な、よくできた女房でした。家内が専業主婦でなかったら、こんな稼業はとてもやれていなかったと思います。今は専業主婦が少なくなって、代議士の奥さんも仕事を持っている人が増えていますよね。首相夫人も、これまではご主人より一歩か二歩下がって歩くような女性がほとんどでしたけど、これからは新しい首相夫人像を描いていくことが一つのテーマになりそうですね。

《佳子さんの他界から今年で11年。再婚はしていない。父の専一さんも妻に先立たれたが、男やもめを貫いた》

両親は2人とも6月に死んで、家内も6月に死んじゃったんです。偶然の一致でしょうけど、みんな6月なんですよ。6月ごろになると遠藤利明選対委員長が山形のサクランボを贈ってくださるので、いただくとお供えしています。家内はサクランボが好きでしたのでね。

再婚を考えたことはありません。だって、面倒くさいじゃないですか。周りに勧める人もいませんでしたしね。一方、おやじは再婚話がなかったわけではないんです。おやじの秘書が「いつまでもお一人というわけにはいかないんじゃないですか」と大平正芳元首相の奥さまに言われて、「私からは聞きにくいので禎一さんから聞いてください」と頼んできたこともありました。私から再婚する気はないのかとたずねてみましたが、適当なことを言ってはぐらかされました。私と同じで、面倒くさかったのではないかな。(聞き手 豊田真由美)

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