不死身の被爆イチョウ 仏頭安置で新たなパワースポット

被爆イチョウの幹の中にまつられた仏頭=広島市東区
被爆イチョウの幹の中にまつられた仏頭=広島市東区

大木の中にまつられた子安観音像の仏頭が、りんとした表情で参拝者らを見守っている。JR広島駅にほど近い真言宗御室派の明星(みょうじょう)院(広島市東区)で昨年12月、被爆イチョウの幹の中に仏頭が安置された。幾度にもわたる災難に遭い、数奇な運命にさらされ、枯れ木のような姿になった被爆イチョウだが、それでも力強く新芽を吹いている。イチョウと仏頭が命の尊さを伝え続けている。

今なお、新芽を出して生きようとする被爆イチョウを見つめる明星院の八木恵生住職=3月24日、広島市東区
今なお、新芽を出して生きようとする被爆イチョウを見つめる明星院の八木恵生住職=3月24日、広島市東区

境内で見守り150年

明星院の境内にあるイチョウは樹齢約150年とみられ、かつては樹高約10メートル、幹の太さは約3・5メートルの大木だった。明星院の大正時代の絵はがきにも、このイチョウが確認できる。

紅葉の時期には黄金色に姿を変え、枝いっぱいにギンナンを実らせ、「近所の人たちも楽しみにしてくれていました。黄色の葉っぱで覆いつくされ、まるでじゅうたんのよう。大切な存在でした」と八木恵生(えしょう)住職(66)は振り返る。

だが、現在の姿はかつての約3分の1の高さとなる約3メートルに。幹の上部にくりぬかれた穴には、平成元年に建立された子安観音像の原型となる木型の仏頭がまつられている。

太い幹の中で境内を見守り続けるりんとした仏頭の表情に、近所の参拝者も「守られているような気がする」と、思わず足を止めて見入っていた。

仏頭が安置された被爆イチョウ(左)と子安観音像。仏頭は子安観音の原型の木型
仏頭が安置された被爆イチョウ(左)と子安観音像。仏頭は子安観音の原型の木型

原爆の熱風に耐え

たび重なる災難に遭いながら、イチョウは命をつないできた。

原爆が投下された昭和20年8月6日、爆心地から約1・8キロにある明星院は寺宝のほとんどを失い、このイチョウも被爆した。

だが、原爆の熱風に耐え、倒壊を免れ、戦後もたくましく生きてきた。

再び災難が襲ったのは、昭和62年。雷の直撃を受けて幹の上部約4分の1が大きく裂けた。「代々の住職が守り続け、被爆にも耐えたイチョウ。その姿には涙が出ました」

平成16年には、9月と10月の相次ぐ台風に見舞われた。太い枝が何本も折れ、そばに安置されていた子安観音像も巻き込んだ。

大正8~10年頃の明星院の絵ハガキ。中央に写る細い木が今の被爆イチョウ(明星院提供)
大正8~10年頃の明星院の絵ハガキ。中央に写る細い木が今の被爆イチョウ(明星院提供)

台風にもさらされ

しかし、災難は終わらなかった。昨年8月の台風9号。暴風雨によって、すべての枝は折れ、幹だけでかろうじて立っている状態となった。さらに雨水が染み込み、幹の中心部分が根元付近まで腐食していることが判明。腐食部分を取り除いたために、幹の中心は空洞になってしまった。

無残な姿に「がくぜんとしました。もうお別れをしないといけないかも」と心を痛めていた八木住職。しかし、昨年11月頃、その被爆イチョウから新芽が出ているのに気づいた。

「秋は本来、力を蓄えておく時期で、春に新芽を出しますが、イチョウは必死に生きようと生きようとしていました」

その姿を見つめながら、八木住職は考えた。幹には腐食部分を取り除いた際の穴も開いており、ふさぐのはかえって哀れに思えた。そこで、イチョウのそばに安置されている子安観音像建立の際につくった仏頭の原型をまつったという。

仏頭が安置された明星院の被爆イチョウ
仏頭が安置された明星院の被爆イチョウ

広島藩主ゆかり

明星院の前身は、毛利輝元の生母の位牌(いはい)所として建立したと伝えられる妙寿寺で、その後、広島藩主となった福島家や浅野家の祈願寺となり、歴代藩主の保護を受け、領内鎮護の寺として重用されていたという。

原爆で寺院は焼けたが、境内には被爆イチョウのほかにソテツ、クロマツと計4本の被爆樹木もあり、「本当に強い」と八木住職は話す。

被爆イチョウの幹の中は今も空洞のままで、「外側の『皮膚』だけで生きている」状態だ。それでもなお、今年の春にまた新芽を吹いた。「命の大切さを伝え続けてくれている」という八木住職は静かに手を合わせた。(嶋田知加子)

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