知らなかった。筆無精と思っていた母が何年もの間、祖母に手紙を送り続けていたことを。いとこが祖母の遺品整理をしていて見つけたそうだ。その手紙を私の母に返還したい。電話口で彼女はそう言った。そこで私の家に郵送してもらい、老人ホームにいる母に私が渡しに行くことになった。
数日後、お約束の郵便物が私の元に届いた。包みを開けると、何十通もの色あせた手紙が重なり合っていた。それは、祖母と母が積み重ねた歴史そのものだった。
私はその一枚一枚を手に取り、読んでいくことにした。恐る恐る、だけど丁寧に。
するといつしか新婚の若かりし母が、手紙の向こう側から私に話しかけてくれているような不思議な気持ちになった。
母は昭和31年に19歳で結婚した。なれそめは「お母ちゃんがきれいやったから、お父ちゃんが一目ぼれしてんで」だそうだ。母からそう聞いた。
そして夫婦となったふたりは、生まれ育った三重県をあとにして、大阪に小さな店を持った。その頃、新しい土地に慣れない母が故郷への便箋にもらした本音。それは、片仮名文字だった。「コドク」
お母ちゃん。もうすぐお姉ちゃんが生まれて、私も生まれて、私たちお母ちゃんに会いに行くんだよ。だから寂しくないよ。19歳の母にそう話しかけていた。
そして全ての手紙を読み終えると魔法が解けて時間旅行は終わった。
私の人生にコドクなんて一度もなかったね。いつの日もお母ちゃんが私のそばにいてくれたからだよ。今度は、自分で自分にそう言っていた。
山本香澄(59) 奈良県大和郡山市