話の肖像画

谷垣禎一(18)幻に終わった大連立構想

参院選を前に開かれた党首討論会での谷垣さん(左)と菅直人元首相=平成22年6月
参院選を前に開かれた党首討論会での谷垣さん(左)と菅直人元首相=平成22年6月

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《平成22年6月、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で迷走した鳩山由紀夫元首相が在任8カ月で退陣し、菅(かん)直人元首相が後を受け継いだ。内閣支持率は首相交代でV字回復したが、菅さんが消費税増税の議論を唐突に打ち出すと再び急落。7月の参院選では連立与党が過半数割れ、野党の自民党は改選第1党となった》


菅さんが消費税に言及する前に、参院選で与党を過半数割れに追い込めなければ総裁を辞する考えを表明していました。当初の調査ではそこまでいっておらず、必ず過半数割れするという確信があったわけではなかったのですが、当時の大島理森幹事長と相談して思い切ったことを言おうということになりました。背水の陣を敷いたのです。

選挙戦では、人さし指を立てて「いちばん。」というキャッチフレーズを使用し、CMも制作しましたが、とにかくご注文が多かった(苦笑)。何も言われないよりありがたいんですけど、「ああしろ、こうしろ」「この間のあれはだめだ」といろいろ言われて大変でした。大島さんも気の毒に、党内の若手議員から「顔が怖い」なんて言われて…。あんなに優しくて頼りになる男はいないのにね。


《国会は衆参で多数派が異なる「ねじれ」となり、与野党の対立は激しさを増したが、23年3月11日の東日本大震災で事実上、一時休戦となった。政権運営に行き詰まっていた菅さんはこの日、参院決算委員会で自らの外国人献金問題を追及され、命運が尽きようとしていた》


3月11日の朝は、他の自民党幹部と「もうあと一歩だな。頑張ろうぜ」という話をしていたんです。地震が起きたのは、その後でした。大津波が東北の沿岸部を襲う映像を見て、「これはもうけんかをしている場合じゃない」と思いました。

あのとき、私が「自民党ってすごいな」と感じたのは、党所属議員がみんな党本部に集まってきて、必要な対応について議論を始め、その内容をメモにしていったことです。そうやって考えたことは、けんかに使うのではなくて、彼ら(政府・与党)に使ってもらえたらいい。こういうときは協力してやっていかないと、どうにもならないですから。


《菅さんはその後、震災復興を大義名分に、谷垣さんに副総理兼震災復興担当相としての入閣を要請。野党首脳を閣内に取り込むことで、事実上の「大連立政権」樹立を狙った。加藤紘一元自民党幹事長やマスコミ関係者を通じて秋波を送ってきたこともあった。違和感を覚えた谷垣さんは打診を拒否した》


これは大連立を組まないとだめかなという議論はいろんなところであったし、私自身も「正式に申し込まれたら受けざるを得ない」という考えが基本にありました。この震災に関しては当然、協力できることは協力しなきゃだめだと思っていたからです。大事なのは、そのためにどんな手順を踏むかだと考えていました。大島さんら党幹部とも、そういう話をしました。

だけど、菅さんの持っていき方に「そうじゃないんじゃないか」と感じたのです。不信感や不透明感が常に漂っていて、彼の周辺から何となく「これで自分の起死回生があり得る」というにおいを感じました。基本的な信頼感がなかったんでしょう。それまで菅さんとほとんど接点がなかったのもよくなかったのかもしれません。

一方で、後に野田佳彦元首相とは(民主、自民、公明各党による「社会保障と税の一体改革」の)3党合意をまとめたわけですが、あのときは野田さんと直接的にも間接的にも相当話をした上で「彼は本気で信頼できるな」と感じたのです。あんまり簡単に仮定の話をしちゃいけないけれど、大連立構想も相手が野田さんだったら、実現していたかもしれませんね。(聞き手 豊田真由美)

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