ビブリオエッセー

暴走するミトコンドリア 「パラサイト・イヴ」瀬名秀明(新潮文庫)

新型コロナウイルスの感染が続いている。デルタ株、オミクロン株と変異を続けるウイルスから、二十数年前に読んだこの小説を思い出した。

当時はホラー小説として話題になったが何とも奇妙で恐ろしい物語だった。薬学部の研究者、永島利明は事故で亡くした妻、聖美の肝細胞をひそかに培養する。ところがその細胞が急速に変貌し、暴走を始めた。

もうひとりの主人公はミトコンドリアだ。生物の細胞内にあって寄生的存在と思われていた微小な器官。だがDNAをもち、細胞内で増殖する。変貌したミトコンドリアは「Eve(イヴ)1」と名づけられた。長い眠りから覚醒して人の体を乗っ取ると、「これまで十数億年ものあいだ、この日が来るのを夢見て耐えてきたのだ。宿主にいわれるままに、単純なエネルギー産生作業に従事してきた」とつぶやく。

この小説は当時、最新の生命科学の知見が駆使されていたが専門知識がなくても面白さに魅了され、一気に読み終えた。個の中に全体が含まれ、個は全体と共生しなければならない。だが個である細胞に寄生するミトコンドリアが全体である宿主、つまり細胞の核DNAに反旗を翻す。リアルな想定だ。その先には…。

人と自然との関係について考えさせられた。新型コロナウイルスは海鮮市場の動物が由来ではないかといわれた。とすれば本来は自然界で収まっていたウイルスが人の行いにより新たな感染症を引き起こしたともいえる。変異を繰り返して人に襲いかかるのも、小説のミトコンドリアの戦略を思わせる。収束は見えない。

本来、自然と人は一体でなければならない。役立てることは大事だが思慮の浅い自然への関与や破壊は人への暴挙。そのことも痛感した。

堺市北区 井上清(73)

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